意志と根気とねばり
森先生独自の深い考察がなされています。
「ねばり」とは、根気と同じような意味あいなのですが、森先生によれば、
「根気という方は、しかけた仕事を途中で投げ出さないで、どこまでも持ちこたえていくという意味で、つまり持続ということが主になる」
のに対して
ねばりは、「いわば根気を生み出す呼吸とも言うべき趣がある」
と説かれています。
まず何を行うにしてもはじめは、やるぞという意志が必要です。
その意志を中断しないで、持ち続けてゆくには根気が必要です。
この意志と根気とねばりについて、独自の見解が示されます。
森先生の仰せには、
「人間が一つの仕事を始めてから、それを仕上げるまでには、大体三度くらい危険な時がある」と言います。
「まず全体の三割か三割五分くらいやったところで、飽き性の人とか、あるいはそれほど進んでやる気でなかった場合には、ちょっと飽きの来るもの」というのです。
その第一の関門を突破するには、意志の力でゆくのです。
更に「六割か六割五分辺のところへ来ると、へたってくる」と言います。
「今度のへたりは、前よりも大分ひどいのが常です。
第一の関所で落伍するような人間では問題になりませんが、この第二の関門となると、身心ともにかなり疲れてきますから、まず七、八割の人は、ちょっとへたりこむのです。」
というのです。
「そこでその際起ち上がるのは、もちろん意志と言ってもよいわけですが、しかし私は、根気という方がもう少し実感に近いかと思うのです。」
と指摘されています。
根気を出して乗り越えても、
「八割前後になりますと、いかにも疲れがひどくなって、どうにも飽きがきて、何とか一息つきたくなるもの」だと言います。
この八割前後で、疲れがひどくなった時に必要なのがねばりだというのです。
森先生は、「ねばりという言葉が、独特の意味を持ってその特色を発揮し出すのは、まさにこの第三の関所においてです」というのです。
「つまり油はほとんど出し切って、もはやエネルギーの一滴さえも残っていないという中から、この時金輪際の大勇猛心を奮い起こして、一滴また一滴と、全身に残っているエネルギーをしぼり出して、たとえば、もはや足のきかなくなった人間が、手だけで這うようにして、目の前に見える最後の目標に向かって、にじりにじって近寄っていく」
というのが、森先生の説かれるねばりなのです。
「そこで私は、このねばりというものこそ、仕事を完成させるための最後の秘訣であり、同時にまたある意味では、人間としての価値も、最後の土壇場において、このねばりが出るか否かによって、決まると言ってもよいと思うほどです」と説かれています。
なるほどと思って読んでいました。
そんな折りに、今月のPHPが届いて読んでいると、綾小路きみまろさんがインタビューに答えられていました。
綾小路さんは、二十二歳で芸人の道に入り、売れるようになったのは、五十二歳というのですから、長い間苦労されたのです。
それだけに独特の話芸は、人気があるのでしょう。
たしかに間の取り方などは見事なものです。
インタビューのタイトルは、「焦らず、腐らず、努力する」となっていて、まさにその通りに努力をされたのでしょう。
印象に残ったのは、自作の漫談を吹き込んだカセットテープを作って配っていたという話です。
配る場所は、老人ホーム、病院、美容院などといろいろ工夫されました。
思いついたのが、バスでした。
バスならばカセットデッキもあるし、道中に聴いてもらえると思って、毎晩夜なべしてカセットテープを一本一本ダビングして、手作りのラベルを張って、観光バスが集まるサービスエリアで運転手さんやバスガイドさんに無料で配ったというのです。
その数実に三千本というから驚きです。
奥様には、「労力とお金をドブに捨てた」と言われたそうです。
不審者扱いされて警備員につまみ出されたこともあったとか。
それでも綾小路さんはねばったのでした。
すると次第に、面白いテープがあると口コミで評判が広まったそうです。
カセットテープに連絡先を入れておいたので、何本も注文が入るようになってきたのだというのです。
そんな噂がレコード会社に伝わって、漫談CDが発売されたという話でした。
それが大ヒットして名前が知られるようになったのでした。
まさしく意志と根気とねばりだと思いました。
そう思っているところに、『日本講演新聞』が届きました。
作詞家の秋元康さんに、小説家の森沢明夫さんが、
「秋元さん、ヒット曲ってどうやったら出せるんですか?」と聞いたところ、
秋元さんは、
「森沢君がもし作詞家になるとしたら、三千曲書いてごらんよ。
絶対に、2、3曲はヒットするよ。
ヒットの法則はそれだよ」
と言われたという話でした。
秋元さんにしても、書いた曲は何千曲もあって、その中であたったのはほんの数%なんだというのです。
これも、よし書こうという意志をもって努力して、途中で疲れてきても根気をもって乗り越え、最後に疲れ果ててもねばりにねばって書くからこそ、ものになるのでしょう。
この二つの話を読んで、綾小路さんも三千本のカセットテープを配り、秋元さんも三千曲書けといい、三千という数字にも興味を覚えました。
仏教には「一念三千」という言葉があります。
これは天台でよく使われる言葉で、
「一念に三千世間が具足されている」という意味です。
しかしながら、三千回一念をもって貫くと受けとめてもいいかなと思いました。
何にしても、三千回は意志と根気とねばりとをもってやり抜くこということでしょう。
修行も然りであります。
横田南嶺