死んでどこへ
大事な人を亡くして悲しむのは、誰でも同じであります。
どんなに修行をしようと、お悟りを開いた方であろうと、変わることはありません。
お釈迦様ですら、愛弟子の舎利弗が亡くなった時には、悲しみをあらわにされています。
舎利弗は病の為に、お釈迦様より先に亡くなりました。
お釈迦様は、舎利弗が亡くなった知らせを受けて、そのご遺骨を抱えて、更に捧げ持って、皆に言いました。
「この遺骨を見よ、無常の法はいかんともしがたいものである」
と悲痛の言葉を発しておられるのであります。
しかしながら、いつまでも悲しんでばかりいては、亡くなった方も浮かばれませんので、どこかで前を向いてゆかねばならないのです。
そうかといって、決して悲しみが無くなって前を向くのではなく、その悲しみをしっかり胸に抱えながら、一歩一歩どうにか前に進んでゆくのであります。
死んでどこにいったのかという疑問は、古来宗教が真剣に向き合ってきた問いであります。
私は二歳の時に、一緒に暮らしていた祖父が亡くなり、火葬場にいって祖父の遺体をかまどにくべた時に、祖父は死んでどこにいったのかということが大きな疑問となりました。
その疑問をどうしたら解決できるのかと、あれこれと模索して今日に到るのです。
祖父は肺がんでした。
国鉄に勤めていたので、すすや煤煙を吸ったのではないかなと思っています。
それから死についてあれこれ考えて、松原泰道先生の著書にめぐり会い、
「仏教は死を問いとしてそれに答えるに足る生き方を教えるものである」
という一語を見て、仏教にこそ死の問題についての解決の道があると思ったのでした。
小学生の時に、同級生が白血病で亡くなって、一層死の問題は切実になりました。
あちらこちらお寺や教会などを求めて回るうちに、禅寺で坐禅をして、生きた禅の老師の姿に触れて、この道だと思ったのでした。
またその当時、円覚寺の管長であった朝比奈宗源老師の本を読むと、老師は四歳で母を亡くし、七歳で父を亡くして死んで両親はどこにいったのかと、その解決を求めて坐禅し、出家修行して、ついにその解決を得たと書かれていましたので、「これだ」と思ったのでした。
この道があると知り、間違いがないと確信して、あとは自ら歩んで実践して納得するのみと思ったのでした。
そして、私も出家して修行してまいりました。
おかげで、なるほど朝比奈老師の説かれた通りに間違いがなかったというのが結論であります。
朝比奈老師は、ご自身死についても疑いをもって、坐禅に励まれ、ようやく気がついたところを次のように述懐されています。
「仏心は生を超え死を超えた、無始無終のもの、仏心は天地をつつみ、
山も川も草も木も、すべての人も自分と一体であること、
しかも、それが自己の上にぴちぴちと生きてはたらいて、
見たり聞いたり、言ったり動いたりしているのだという、
祖師方の言葉が、そのとおりであるということを知ったのであります」
という表現です。
私なども、僭越ながら、細々と修行してきて、朝比奈老師の言われた通り、祖師方が言われたとおりだったという確信を得たのでありました。
これはあくまでも体験の世界です。
体験をするには、どうしても何年もの坐禅修行必要であります。
しかし、朝比奈老師は、誰でもが長い坐禅の修行ができるわけではないので、広く人々に仏心の信心を説かれました。
これは、朝比奈老師が、坐禅修行を終えた後に、浄土真宗の村田静照和上に、念仏の教えを学ばれたことが大きな影響になっています。
その仏心の信心というのは、どういうものであるのか、これも朝比奈老師のお言葉を参照します。
「そこで、私は近年誰にもわかりやすく、仏心の信心を説いております。
人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引きとるので、その場その場が仏心の真只中であります。
人はその生を超え死を超え、迷いをはなれ、けがれをはなれた仏心の中にいるのだという、人間の尊いことを知らないために、外に向かって神を求め仏を求めて苦しみ、死んだ後のことまで思い悩むのですが、この信心に徹することができたら、立ちどころに一切解消であります。
私の上でいえば、私のおろかな父も母も死後は、釈尊も達磨も、同じく仏心の世界、永遠に静かな、永遠に平和な涅槃の世界にいられるのであって、修行した人も修行しない人も、その場に隔てはないのであります。
これは私が少年の時、両親の死後どうなったであろうという問題が縁となってついに僧侶となり、禅を中心として修行し、また仏教諸宗について研究し、六十余歳の今日になってたどりついた結論であります」
というのであります。
仏心の中にいるのだと信じることによって、安心を得られるのであります。
朝比奈老師は、お亡くなりになった方のご遺族に、色紙を送られていました。
それには、
「倶に遊ぶ、仏心光明の中(倶遊仏心光明中)」とお書きになっていました。
亡くなった方と倶に仏心の光の中で遊ぶのだという意味です。
生きている私たちも、既に亡くなった多くの御霊とも、倶に仏心の光の中で遊んでいるのです。
そこで、私も誰かご縁のある方がお亡くなりになった折りには、「ともに遊ぶ、仏心光明の中」と色紙に書いてお供えしてもらっています。
もう少し朝比奈老師のご高説を拝聴してみましょう。
「いくら大切に思いましても、この肉体の生命のはかないことは、ご承知のとおりで、せいぜい生きても百歳くらい、もろい時は、ハッと思う間に失われてしまいます。
これを考えますと、何をするのも無意味になりますが、お釈迦さまの教えですと、私どもはみな永遠に生きどおしの仏心をそなえているのであります。
仏心をそなえているといいますと、なにか貴重なものを胸の中にいれているように聞こえますが、そうではない。
仏心は永遠に生きどおしのものであるばかりでなく、広大無辺なもので、全宇宙をつつんでいるのでありまして、私どもが生まれましたのも、死ぬという肉体の息のとまるのも、みな仏心のはたらきで、私どもはいつどこにいても、仏心からはなれることはないのであります。
ですから、死んだあとはどうなるだろうかと思い悩む人もありますが、そんな心配はいらないのです。
仏心は、生や死を超えていると申しましたが、それだけでなく、仏心はいつも浄らかな、いつも静かな、いつも安らかな、いつも明るいもので、一切の苦しみや、悲しみや、不安のない世界で、死はその世界へもどることです」
ということなのです。
罪を犯して死後も苦しむのかと不安になることもあるかもしれませんが、朝比奈老師は、このように説かれています。
「幸いに仏心の信心は、人間を無条件に悪の意識から解放してくれます。
この絶対に浄らかな仏心の上には、人間の罪も過ちもその影をも留めません。
善悪の観念は、人間の相対的意識の世界にあっては、光の陰のように離れることのできないものですが、意識を超えた仏心の中には、善も悪も二つながら存在しません」
というのですから、これもまた大安心なのであります。
私達の坐禅は、この仏心に目覚める坐禅なのであります。
祖父の死が縁となって、死について求めてきて、誰も理解もされない道を歩んできました。
しかし、祖父の死から五十年の後に、日本肺癌学会で、そして更に世界肺癌学会で、死について講演をさせていただきました。
ご縁の不思議を思います。
今は、朝比奈老師の円覚寺に暮らして、毎月朝比奈老師の月命日の二十五日には、僧堂で法要を行い、お墓にお参りさせてもらっています。
このように、ご縁というのは、すぐには現れなくても、必ず実るのだと確信しています。
横田南嶺