呼吸の瞑想
これをご覧になっている皆さまは、その読者でありまして、いつもお読みくださり、感謝します。
高見順さんが、、新聞配達の少年を見て、
なにかおれも配達しているつもりで
今日まで生きてきたのだが
人々の心になにかを配達するのが
おれの仕事なのだが
この少年のようにひたむきに
おれはなにを配達しているだろうか
(おれの期待5)
という詩を残していますが、何かを毎日お届けしようと思って、こうして書いています。
毎日読んでいますとか、毎日楽しみにしていますと言っていただけると、有り難く、うれしく、よし頑張って書こうという気持ちになります。
この頃は、文字で読むだけではなく、朗読しようと思って、動画も作成しています。
侍者日記は読んでいないけれども、YouTubeなら見ているという方の為に始めたものです。
緊急事態宣言の間は、毎朝配信しようと頑張っています。
これは、先日YouTubeで対談した小池陽人さんの影響です。
小池さんは、前回の緊急事態宣言の間、毎日法話を配信なさっていたのでした。
私は、その頃、小池さんという方が毎日法話を配信しているを拝見し、お若いのに偉い方だなと思っていたのでした。
まさか、直接お目にかかって、対談できるとはその頃思ってもいませんでした。
まして、況んや、須磨寺まで出向いて、小池さんのチャンネルに出させてもらうと想像もしなかったことです。
小池さんのチャンネルでは、十三日から私との対談を配信してくださるとのことです。
さて、その毎日の侍者日記の配信で、終わりに一分ほどの呼吸瞑想の時間を設けています。
皆さんと一緒に呼吸を見つめようということなのです。
わずかの時間で短い説明しかしていませんので、少しここで説明させていただきます。
最近また、岩波文庫の『ブッダが説いた事』(ワールポラ・ラーフラ著)を読み返しています。
その中に、呼吸の瞑想について、詳しく説かれたところがありますので、引用しながら解説してみます。
ワールポラ・ラーフラさんは、
「人は昼夜休みなく息を吸い込み、吐き出す。
しかし、そのことをまったく意識せず、一瞬たりともそれに注意を注ぐことがない。この瞑想は、まさにそれをするのである」
と説かれるように、呼吸というのは全く普段意識していません。
しかし、生きているということは、息をしていることなのです。
呼吸に意識していないということは、今生きていることにも意識されていないのも同様です。
今、ここ、生きてる、このことに目を向けるために呼吸を手がかりにします。
「力まずに、緊張せずに、普通に息を吸い、吐く。
心を息の吸い込みと吐き出しに集中させる。
息の吸い込みと吐き出しを注視し、観察する。
息の吸い込みと吐き出しを意識し、見守る」
とワールポラ・ラーフラさんは説かれています。
呼吸の瞑想は、このことに尽きます。
ただ、私は、一番はじめだけ、浅くなりがちな呼吸を矯正するために、体のなかに溜まった空気を全部吐き出すつもりで、一息強く吐いて、鼻から新鮮な空気をいっぱいに吸い込むということを説いています。
この一呼吸だけでも落ち着くものです。気持ちが切り替わります。
呼吸に意識が向くのです。
なかなか、馴れないと普通の呼吸というのは意識しにくいものです。
一呼吸、思い切り吐いて、静かに鼻から吸い込んで、体いっぱいに新鮮な空気が入るのを有り難いな、うれしいなと、思わず微笑むように吸って、そのあとは静かに自然に鼻から吐き出し、鼻から吸うというのを繰り返します。
そして、それをただ見つめるのです。
見つめるだけで、静かに調ってきます。
ワールポラ・ラーフラさんは
「人は息をするとき、ときとして深く、ときとして浅く息をするが、それは構わない。
唯一大切なのは、深く息をするとき、深く息をしているということを意識することである。言い換えると、集中して、呼吸の動き、変化を意識しているということである」
と説いて下さっています。
ただ橋の上から、川の流れを見るように、見つめているのです。
簡単なようでも、
「最初の内、呼吸に集中するのは難しい。
心が乱れるのに驚かされる。
心は、留まっておらず、色々なことが頭に浮かぶ。
心は邪魔され、気が散る。うろたえ、がっかりするかもしれない。
しかし、一日二回朝晩に、各々五~十分ほどこの瞑想を繰り返せば、少しずつ呼吸に集中できるようになる。
そして、しばらくすると周りの音も耳に入らず、外の世界が存在しなくなり、あなたはその瞬間呼吸に全神経を集中していることに気が付くようになる」
とワールポラ・ラーフラさんが説いているように、習慣にすることが大切です。
そうして、集中できてくると、
「この瞬間は、あなたにとって喜び、幸せ、静謐に満ちた素晴らしい経験で、それをずっと続けたいと思うようになる」
ものなのです。
「呼吸に没頭して我を忘れている」という状態になることができます。
このような集中ができるようになると、
それは、
「ものごとの深い理解、省察、本質の洞察に必須なものである」
と説かれています。
深い集中、すなわち禅定からこそ、正しい智慧が生まれるのです。
正しい智慧があってこそ、慈悲の実践ができるようになります。
またワールポラ・ラーフラさんは、
「これとは別に、呼吸法の訓練には即効的効果がある。
それは、肉体的健康、リラクゼーション、安眠、日常の仕事効率にとって有益である。
あなたは落ち着き、平静になる。
神経が高ぶり、興奮したときでも、この瞑想を数分行なえば、あなたはすぐに落ち着き、心休まる。
ゆっくりと休んだあとの目覚めに近い気分である」
と説いているようなことができます。
健康に良いとか、心が落ち着くというのは、副産品のようなもので、ねらいは、智慧の完成と慈悲の実践なのです。
というわけで、毎日の呼吸の瞑想、集中力を養う実践は、いろんな効果もありますので、是非習慣にしていただきたく思っています。
横田南嶺