不断の努力が生命そのもの
必要があって、調べていると、その中に収録されている、「洪川老師のことども」という一章が目につきました。
この本は、今から五年前の平成二十八年に、岩波文庫から復刻されたものです。
大拙先生ご自身の若い日の円覚寺の僧堂で修行された体験をもとに、中国の祖師方の言葉を縦横に引用されていて、単なる禅堂の生活を紹介するだけではなく、深い禅思想を論じられている本です。
駒澤大学の小川隆先生が、解題を書かれて、私が畏れ多くも解説を担当させてもらっています。
小川先生の解題と、私の解説という組み合わせは、この『禅堂生活』が始まりです。
この本の特色のひとつに、大拙先生の『禅堂生活』という長編を納めているだけでなく、巻末にいくつかの短編の文章が載っていることです。
『禅堂生活』の素晴らしさは言うまでもありませんが、これらの短編も深い内容のものなのです。
「僧堂教育論」という一章も考えさせられることが多く、「鹿山庵居」などは、大拙先生が修行された頃の円覚寺の様子がうかがわれて興味深いものです。
そんな中に、「洪川老師のことども」という短編がございます。
冒頭に次のような言葉がございます。
少し長いのですが、引用させてもらいます。
これは一九四四年、『大乗禅』に掲載されたものです。大拙先生七十四歳の頃のものです。
「近頃洪川老師のことを調べて居ると、色々有り難きことに逢著する。
自分も今老師の亡くなられた年に殆んど近づいて居るが、自ら省みて足りないことのみ多きをずる次第である。
修養は一生を通じての事業でなくてはならぬ。
「これでよい」などと、どこかで一休みすると、そこから破綻の機会が生れる。
家康の云ったように、人生は車を推して長い坂を上るようなものだ、一寸でも緩みが出ると、後退する外ない。
人生は進むか退くかどちらかである。
じっと一処に止まって居ることはない。実にその通りである。
乾の徳と云うこともあるが、天地自身が一刻も休むことなしに動いて居る。
動かなくなるのは死んだときである。
人間も亦かくの如しで、不断の努力が生命そのものなのである。
これがなければ生きながら死んで居るわけである。」
今の七十代とは違って、その頃の七十四歳というはかなり高齢と思われていたことでしょう。
それでもなお、
「修養は一生を通じての事業でなくてはならぬ。
「これでよい」などと、どこかで一休みすると、そこから破綻の機会が生れる」
と仰せになっておられることには、感服します。
「人生は車を推して長い坂を上るようなものだ、一寸でも緩みが出ると、後退する外ない」と仰っていますが、
私などは、もはや、かなり後退してしまっていると痛感しています。
一寸どころか、かなり緩みきっていると反省します。
「乾の徳」とは、諸橋先生の大漢和辞典を調べますと、「天子の徳」、「進んでやまぬ徳」という解説があります。
「自彊(じきょう)息(や)まず」という『易経』の言葉を思い起こします。
致知出版社の『易経一日一言』をみると
「天行は健なり。君子もって自彊して息まず。(乾為天)」という言葉です。
解説には、
「天の働きは健やかで一日も止まない。それに倣って「自彊して息まず」、自ら強く励み、努めて止まないことが大切である」と書かれています。
人間の命というのは、単に生きているだけではなく、不断の努力がなければならないのであります。
この一章の中には、洪川老師がいろいろの覚帳を用意されていたことに触れています。
経典や禅籍はもちろんのこと、様々な書物から抜粋録を作っておられたのです。
読書して学び続けることを生涯貫いておられたのでした。
先日アサヒビールの元社長であり、NHKの会長もお勤めになられた福地茂雄先生にお目にかかる機会がありました。
コロナ禍にあって、「源氏物語」を読み直しているのだと語っておられました。
もう米寿に近い先生ですが、あのような大部の書物を読もうとされているのは、まさに自彊息まずだと思いました。
大部の書物を読むには気力も必要です。
その気力と根気とが、いつまでも聡明さを失わずにおくのでしょう。
そんな洪川老師の抜粋録の中から、大拙先生は次の言葉を紹介されています。
「学は疑を知ることを貴ぶ。小疑には則ち小進あり、大疑には則ち大進ありと、疑は覚悟の機なり。一番覚悟すれば一番の長進あり」
という一文です。
大拙先生は、
「疑が覚悟の機であると云うは、疑によりて新たな知識を得るとの義であろう。
疑がなくては、猫のいつまでも猫であるように、その境涯において進一歩の機会は与えられぬ。
「これは?」と云って疑が出るところに、新しきものが見つかる。
学問の上でも、内省の上でも、然らざるはないのである。
疑は思索を促す。思索がなければ、独立の判断が出来ぬ。
いつも群衆心理で動くより外ない。或る場合ではそれも亦可なりであるが、又或る場合では、大いに然らずである。
霊性的直覚の場合の如きは、この大いに然らざる場合である。
ただ伝統的に教えられたものを受取るでは、本当の学でない」
と解説されています。
「これは何であろう」「何を言っているのだろう」「どういう意味だろう」「何の為なのだろう」と疑いを持っていかなければならないというのです。
禅でも大疑のもとに大悟ありと説かれています。
盤珪禅師なども「明徳」とは何かと疑いをもって、修行されました。
あの因幡の源左さんにしても、お父さんが急死され、その死に際に、「おらが死んだら、親さまを頼め」と言い残されて、「親さま」とは何か、「死」とは何か疑いをもって、あちらこちらに教えを聞いてまわったのでした。
そうしてある時に、盤珪禅師にしても、「おりふしのひょっと」気がつかれ、源左さんも牛に草の束を負わせた時に「ふいっと」分からせてもらったというのです。
不断の努力と、大いに疑いをもって求めてゆくこと、この二つは修行の要であると思います。
洪川老師と大拙先生との不断の努力を思い起こして、自らに鞭打つ思いであります。
横田南嶺