「にもかかわらず」
タイトルが、「逆境や困難をプラスに」というものです。
鎌田先生が、これまで歩んできた人生で見つけたひとつの答えがあるそうです。
それが、逆境や困難をプラスに転換する「にもかかわらず」という生き方だというのです。
この言葉を大事にしてきたのは、お父上から受けた影響だと書かれています。
鎌田先生の実の父と母は鎌田先生を育てることができずに、岩次郎さんという方が育てて下さったそうです。
この岩次郎さんは、小学校しか出ていなくて、貧乏の中を生活していて、結婚した相手が重い心臓病で、貧乏と家族の重い病気という二つの困難を抱えていたそうです。
「にもかかわらず」岩次郎さんは、鎌田先生を育ててくださったというのです。
このお父さまから「にもかかわず」という精神をもらったのだと鎌田先生は書かれていました。
そこで鎌田先生は、小学校の頃、担任の先生から「頭があんまり良くないぞ」といわれたそうですが、「にもかかわらず」人の二倍勉強すれば何とかなると思って勉強したそうです。
アルコール依存の患者さんにも関わったそうです。
何ども人を裏切り、暴力を振るって家族にも逃げられた方らしいのですが、そんな人である「にもかかわらず」鎌田先生は、その人たちを信じたそうです。
漢文や禅の語録でも、「然も是の如くなりと雖も」という表現がよく出て来ます。
「そうはいっても」という意味合いであります。
鎌田先生は、長年内科診療をやってこられて、高齢になっても若々しい人というのは、「よく動く」「よく食べる」「好奇心を持っている」「自分流」という四つを大切にしていると指摘されています。
この四つが生き生き生きる秘訣だというのです。
「超高齢化社会となり、経済状況も厳しく、さらに追い打ちをかけるように、コロナ禍となった現在こそ、「にもかかわらず」の生き方が今を生きるヒントになると思っている」
と結ばれていました。
ついつい、「コロナ禍だから」と「こんな時だから」とばかり考えてしまいがちですが、「コロナ禍にもかかわず」、「こんな時にもかかわらず」という発想も持ちたいものであります。
十三日の日曜説教には、抽選で五十名ほどの方が、方丈の中にお入りいただいて話をしました。
新型コロナウイルスの感染者がまた増えつつあるという不安な状況である「にもかかわらず」、円覚寺まで足を運んでくださった皆さまには、心から感謝申し上げます。
横田南嶺