【一口法話】変わるもの、変わらないもの
ああ、またかと気が滅入るように思われる人も多いかと思います。
とある雑誌の取材を受けて、コロナ禍に思っていることを聞かれました。
そして今不安に思っている人たちにメッセージを欲しいと頼まれて、以下のようなことを話しました。
今年一年を振り返りますと、このコロナ禍によって、大きく変わりました。
きっと将来、振り返ってみた時に、2020年というあの年から大きく変わったなと思い起こされるのかもしれません。
多くの人の暮らしが変わりました。
いつものように帰省したり、旅行していたのができない、勤めに出ていたのがリモートになった、会合ができなくなった、それぞれでしょう。
お見舞いに行けないなどもございます。
私たちのお寺でも、随分変わりました。
拝観の方が減りました。
坐禅会、法話会など大きな催しものはすべてできなくなりました。
毎年当たり前のように行っていたことができなくなるというのは不安に思うものであります。
いろんなことが変わっていくと人は不安を感じるものであります。
私達は変わるものばかりに目がゆきますが、冷静に考えてみると、変わらないものもあるはずであります。
そして人はその変わらないものに触れた時にホッとするものです。
今年の秋も変わらずに寺の木々が紅葉しています。
秋の果物も実りました。
毎日のニュース報道などは、変わってゆくことがほとんどです。
そればかり見ていると不安になります。しかし変わらないものも私たちの周りにはたくさんございます。
まずなんといっても、変わることなく毎日日が昇ります。
空気もあります。水もでます。
「幸せはひねれば水の出る暮らし」と震災の後にはこんな句が詠われたのでした。
屋根もある、住まいもある、水もでる、ご飯もいただける、秋の果物もある、変わらないものも実はたくさんございます。
そんな変わらないものに目を向けると心は落ち着きます。
しかし、その変わらないというものも実は変わってゆくのです。
紅葉は、やがて散ってゆきます。
そしてまた春になって新芽が出て、若葉になってゆきます。
変わらないものというのは、実は全ては変わってゆく、変化してゆくのだという法則だけなのです。
この法則を「無常」と言います。
すべては無常であると智慧をもって見ることこそ安らぎの道であるとお釈迦様は説かれました。
無常というと何か空しく、気が滅入るように感じるかもしれませんが、大きな移り変わりの中にお互いは生かされています。
無常であるから、また今の状況も必ず変わってゆくのです。
いつになるかが分からないのですが、必ず待っていれば、新たに変化してゆくのです。
蔓延したものはやがて収束するのです。
全ては変化する理を識って心を静かに整えておくことこそ今大切なことであります。
横田南嶺