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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.12.10
今日の言葉

小池心叟老師のご命日

臘八の大摂心が終わって、九日が小池心叟老師のご命日であります。

毎年、老師のお墓にお参りしております。

老師は、大正三年の十一月五日、東京牛込のお生まれでした。

三歳の時にお父さまがお亡くなりになって、母上の郷里松江で育ちました。

幼くして、松江にある臨済宗南禅寺派の名刹華蔵寺でご出家されました。

その後、紫野中学で学び、そして建仁寺の僧堂で十数年にわたる修行を積まれ、当時の管長竹田益州老師の法嗣となられました。

建仁寺山内の堆雲軒の住職をしばらく務められた後に、昭和三十年東京都文京区白山にある龍雲院の住職として招かれました。

龍雲院は、当時戦争で本堂も燃えてしまった後で、老師の仰るには、六畳一間のバラックの先住の和尚と、ご夫人と三人で暮らしたのだそうです。

そのあとは、瓦礫ばかりだった龍雲院を見事に復興され、今日の木造の本堂を建立されて、明治時代に南隠老師が白山道場として教化なさっていた、道場の面目を復興されました。

平成十八年に九十二歳でお亡くなりになったのでした。

私は平成十七年から、老師の厳命で兼務住職を務めて今日に至ります。

私が初めて老師にお目にかかったのは、昭和五十八年二月のことでした。

筑波大学に入学することが決まって上京した折りに、松原泰道先生のお勧めで龍雲院を訪ねました。

当時の老師は六十八歳でした。

それから、九十二歳でお亡くなりになるまで、二十四年の長きにわたってお世話になりました。

実の親にも勝るとも劣らぬご恩を受けたのであります。

初めて訪ねた折りに、今まで由良の興国寺の目黒絶海老師に参禅していたと伝えると、絶海老師と心叟老師は旧知の間柄だったようで、

「絶海さんのところから来たのか、それならすぐに独参するといい」

と言ってくださり、その日から独参をさせていただきました。

学生の頃には、よく龍雲院を訪ねていました。

独参をはじめて程なく老師が

「あんたの独参は、いつでもいいから聞いてあげよう」

といってくださって、定期の独参の時間以外にも随時独参を受けてくださり、ご指導をいただきました。

そうしているうちに、私も老師の弟子になって修行しようと心に思うようになり、老師もまた、私を弟子にしようと思ってくださったようで、自然と老師に頭を剃ってもらったのでした。

あれからもう、三十七年の歳月が流れました。

老師の墓前で諷経していると、そんな頃のことが懐かしく思い起こされました。


 

横田南嶺

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