礼状
多くは、講演や法話を聞いてくださったという方からの感謝のお心であります。
有り難い限りであります。
お送りいただいたものには、お礼状を出します。
いただく物の数もだんだんと増えてまいりました。
特にお歳暮は、十二月の臘八大摂心の間に届くことが多く、如何に早く礼状を書き上げて、摂心の坐禅に集中するかということに気を使っていました。
臘八の大摂心というのは、お釈迦様が十二月の八日、暁の明星を見て悟りを開かれたことにならって、禅宗の修行道場では、特に一日から八日の未明までの一週間を坐禅に集中するのです。
臘八の坐禅に集中しなければと考えでいると、ますます坐禅の時間が減り、礼状を書く時間が増えると仕方ないなという思いになってきます。
しかしながら、今年になって、ようやく気がつきました。
臘八の坐禅が大事な修行で、お歳暮の礼状を出すのは雑事のように考えていたのが間違いだったのです。
いつのまにか、自分の心の中で差別ができてしまっていました。
臘八は坐禅に集中しているから、偉いのだという、これも思い上がりであります。
馬祖禅師の説かれた。「平常心是れ道」とは、仏になるための特別の修行をするというのではなく、日常のあらゆる営みが仏の行いだということなのです。
それを人に語っておきながら、自分自身が間違っていました。
臘八の時であろうが、私はいただいたお歳暮のお礼状を出すのが、大切な勤めなのだ、これが立派な修行なのだと、思うようになりました。
やっていることに優劣はないのです。
なにをおこなっても仏作仏行にほかなりません。
雑事を早く片付けて、大事なことをしようなどと思うから、雑事になってしまうのです。
いただくことは有り難く、お礼状を出すのも有り難いことなのです。
そう思うようになってから、益々有り難くなりました。
「平常心是れ道」普段のありのままが道であると説いていながら、自分自身が身についていなかったのです。
大いに反省しながら、「有り難い、有り難い」と称えながら礼状を出しています。
お礼には冊子の『円覚』やカレンダーなどを添えますので、少し大きなレターパックなどを利用します。
大きくかさばりますので、今は一日に一度出すようにすると、もうポストにあふれて入らないようになりました。
そこで、一日二回に分けてポストに出しにゆきます。
臘八摂心の最中なので、投函を人に頼んでいましたが、二回も人の手を煩わすのは申し訳なく、一回は自分でポストに行くようにしています。
そうしますと、歩いて運動にもなりますし、境内の紅葉も見ることができます。
これも有り難いことです。
横田南嶺