百千万発
何事かと思って開封してみると、『さずかりの人生』という御著書の他に、小冊子や『無量寺便り』などが入っていました。
なかに、これほどまでに美しい文字が世にあろうかと思われるように素晴らしい書のお手紙を入っていました。
来年の予定を定めておきたいので、来夏に塩尻の無量寺で講演をお願いしたいとの正式の依頼と確認でありました。
今年の無量寺の結集における講演は来年に延期になったので、あらかじめお引き受けする旨は伝えていたのですが、確認をということでした。
こちらは、拙い文字ながら、返信を認めました。
『さずかりの人生』は、よい本で、既に知人を通して手元にあるものの、このたびは、青山老師の署名が本の扉にあるので、これまたうれしく有り難く拝読しなおしています。
その中に、相田みつをさんが師事された武井哲応老師のお話がでています。
武井老師が、高校時代の同級会に出られた、その席上でのことです。
同級生の一人が文化勲章をもらったそうなのです。
それが「高校時代にはあまり成績がよくなかった人」だったとか。
同級生が口をそろえて言いました。
「お前なんか高校時代はいつもかすんでおって、お前が文化勲章を貰うんじゃ、われわれのクラスには、ノーベル賞を貰う奴が何人もいなければならない」と。
その友は答えました。
「人生というものは一段式ロケットじゃだめだ。
どんな威力のあるロケットでも一ぺんきりじゃだめだ。
一ぺん噴射して、そこでまた噴射し、もう一ぺん噴射して方向転換する。
それでもダメならまた噴射するというように、無限に軌道修正をしながら進んでゆかなければならない」と。
この言葉を紹介して、青山老師は、「まさに発心百千万発である」と解説されていましえた。
そして更に、
「よし、やるぞ、と志をおこしても、人生の旅路は平坦ではない。
雨の日も嵐の日もある。病にたおれる日もある」
と書かれています。
そのたび毎に、何度も何度もくじけずに、めげずに起き上がり、立ち上がり、また噴射して進んでゆくのです。
「発心百千万発」とは
道元禅師の『正法眼蔵』の中の「発無上心」にある、
「一発菩提心を百千万発するなり」という言葉であります。
一度やろうと思っても、やがてくじけ、またやろうと思い直して、また壁にぶち当たり、更にまたやろうと憤志するのです。
それを何度も何度も繰り返してゆくのです。
禅の修行は、頓語と言われますので、一回悟りを開いてそれで終わりと思われるかもしれません。
優れた方ならばそうかもしれませんが、私などは、何度も何度も何度も、奮起してゆくのみなのであります。
この道は 百千万の発心を
かさねかさねて ゆくばかりなり
横田南嶺