PHP一月号
この一月号から、私の連載が始まっています。
私が担当しているのは、「心に禅語をしのばせて – 生きるための禅の言葉」というテーマで、私が書いた禅語と四百字ほどの解説だけで、一ページの連載であります。
最初の言葉は、「歩歩清風起こる」であります。
目的地に達して清風を感じるものですが、そこに到るまでの一歩一歩にも涼やかな風を感じることができるもので、毎日の暮らしの一歩一歩の歩みにも爽やかな風を感じたいという意味のことを書きました。
私の書と言葉の数ページ前には、金澤翔子さんの実に雄渾な書が載っていて、比べられると恥ずかしいばかりであります。
今月のPHPの特集は、
「人生、笑っていこう!しんどいことを、おもしろくする秘訣」です。
巻頭は、毒蝮三太夫さんの「自分から笑いをつくろう!」というインタビュー記事であります。
毒蝮さんの家では、兄二人を戦争にとられてしまい、空襲の中を必死に逃げていたそうです。
まったく笑うどころではない環境だったそうですが、うちにはいつも笑いがあふれていたというのです。
毒蝮さんは、父と母が楽しく生きている姿しか思い出せないと書かれています。
あるお正月に誰かが、お父さんに年齢を聞いたそうです
するとお父さんは、「毎年変わるから、覚えてられるか!」と。
母が父に布団を敷きましょうというと、父は、うちには布団なんかあるもんかと言います。
布団とは、絹のふかふかの上等なのをいうのだ、うちにあるのはカミナリ布団だと。
カミナリ布団とは、まともに綿が入っていないから、綿が布団のなかで、あっちにゴロゴロ、こっちにゴロゴロと、だからカミナリ布団だというのだそうです。
楽しいお父さんだったそうですが、何かにつけ笑いに変えてやろうと努力し、テクニックを磨いていたと書かれていました。
笑いには努力が必要だというのです。
それに比べて、今の時代は平和になって、豊かにもなって、もっと笑えるはずなのに、全然笑っていないと指摘されています。
今コロナ禍だからと言われますが、昔はもっとひどいときでも笑っていた、現代人は笑いの修業が足りないと書かれていました。
毒蝮さんが、老人ホームに行った時、あるおじいさんが、言ったそうです。
「おれは一歩歩くと忘れる。二歩歩くともっと忘れる、三歩歩くと全部忘れる、だから、アルクハイマーだ」と。
たしかに、私も笑いは大事なものだと思っています。
先日、松本紹圭さんのラジオ、ポッドキャストに出演した時のことです。
ラジオというのはいいですねとはじめに申し上げました。
私などは、子どもの頃はラジオをよく聞いていました。
テレビも家には一台あったものの、子どもにチャンネルを選ぶことはできませんでした。
自由に聞けるのはラジオだったのです。
ラジオは、この頃のテレビや動画と違って、ゆったりとした時間が流れているように感じます。
そんな感じを、私はまるで新幹線ののぞみに乗っていたのが、ローカル線の各駅停車に乗り換えて、ゆったりと外の景色を眺めているような感覚がして、ホッとしますね、
それで、「ホッとキャスト」というのかなと
申し上げたのですが、知性の人の松本紹圭さんにはお笑いいただけずに、
冷静に「ポッドキャストです」と訂正されてしまいました。
笑いは難しい。
横田南嶺