支援とは
二十九日の記事も深く考えさせられました。
こういう事があったそうなのです。
「かなり大きな負傷をして仕事をはからずも休まなくてはならなくなった方がいる。
その方を励まし支援しようと仲間が呼びかけた集まりのメッセージを聞き考えた」のだというのです。
その中に、こんな言葉があったそうです。
「人生には休みも必要だから、ゆっくり休んでリハビリしてください」
という言葉でした。
海原先生は、
「この言葉を聞いて私はかなり驚愕した」そうなのです。
その方の傷はかなり深刻で、復帰の見通しもたたず、リハビリの苦しいことも想像できるというものらしいのです。
元に戻れるのかという不安を抱えた人が、このような言葉をかけられたら、どんな気持ちになるのだろうかと、考えさせられたというのです。
海原先生は、
「「支援する」言葉も行動もとても難しい。
なぜ難しいかというと、それはみな、
相手がしてほしいことではなく、「自分がしたいこと」をしてしまうからではないかと思う」
と書かれています。
つい自分の都合でものをみて、発言してしまうのです。
「人生には休みも必要」とは、元気な人の立場で出てくる言葉であります。
それが、深刻な怪我や病気の人を傷つけてしまうことになってしまうのです。
お釈迦様が、
「人は生まれたとき、
口の中に斧が現れてくる。
愚か者は、悪しき言葉を口にして
その斧で自分自身を
切り裂くのである」
という言葉を残されています。
これは、佐々木閑先生の『ブッダ 100の言葉』にある、「スッタニパータ」からの佐々木先生の訳であります。
言葉というものは、難しいものです。
実に容易に口から出てくるのですが、恐ろしい一面を持っていることを常に自覚していなければなりません。
何気ない一言が、人を傷つけてしまっていることが多いのです。
そして、そのことに気がついていないことも、あるのです。
十善戒という戒の中には、
身体による行為の戒が三つ、心に関する戒が三つ、それに対して言葉に関する戒が四つと一番多いのです。
同じく佐々木先生の『ブッダ 100の言葉』には、
「自分を苦しめず、
他者を傷つけることもない
そんな言葉だけを語れ。
それこそが「正しく語られた言葉」と
いうものである」
という一言が続けて出ています。
では、どういう言葉が人を傷つけるのか、どういう時に自分は自分の都合だけで物をみてしまっているのか、何がその人への支援になるのか、正しい智慧で反省し、良く判断をすることが必要です。
そのためには、静かに坐って、自分自身を省みることが必要になって参ります。
二十九日の朝は「布薩」を行って、その後朝刊を見ましたので、更に反省させられました。
月に二回どころか、もっと頻繁に自らが身体と言葉と心を見つめることが大切だと思ったところであります。
さて本日より、僧堂では臘八大摂心に入ります。静かに自己を見つめる一週間であります。
横田南嶺