幸田弘子先生の訃報
前管長の足立老師と同じ年のお生まれでしたので、八十八歳でいらっしゃいました。
まだ今年の一月に円覚寺で開催された鎌倉てらこやの朗読の会にお越しくださり、朗読を披露してくださったのでした。
私は、その時には、恐れ多くも幸田先生の前で、エルトゥールル号事故の物語を朗読させてもらったのでした。
その時には、お元気そうにお見受けしましたので、訃報に接して驚きました。
謹んでご冥福をお祈ります。
幸田先生とは、もう何年来のご縁でしょうか、鎌倉てらこやで私が、幸田先生がいらっしゃるにも存じ上げずに、坂村真民先生の「二度とない人生だから」を朗読したのがご縁の始まりでした。
幸田先生は、私の真民詩の朗読を、とても褒めてくださったのでした。
褒められると調子にのって、それ以来毎年幸田先生の前で、恥も知らずに朗読を披露していたのでした。
そんな訃報に接して、今年の一月に、エルトゥールル号事故の朗読をしたことを思い起こしたのでした。
そうだ、今年は、エルトゥールル号事故から百三十年の年にあたるので、エルトゥールル号事故の物語を多くの人たちに聞いてもらうように努力しようと思っていたのでした。
ところが、二月になって、前管長がお亡くなりになり、三月四月に新型コロナウイルスの蔓延が深刻になり、緊急事態宣言になって、何かそれどころではなくなってしまいました。
すべての講演はキャンセルまたは延期となり、何か取材を受けることがあっても話題はもっぱらコロナでありました。
すっかり、エルトゥールル号事故の話をすることは忘却の彼方になっていたのでした。
たまたま、毎日新聞十一月二十七日の夕刊のコラム記事「憂楽帳」に、「深まる絆」と題して、エルトゥールル号事故の事が書かれていました。
「文化審議会が史跡指定を答申した遺跡2件に、和歌山県沖で1890年に沈没したオスマン帝国、現在のトルコの軍艦「エルトゥールル号」の遭難者墓地が入った。587人が死亡した海難史に残る事故は、住民が不眠不休で生存者69人を救助した。
トルコではこの史実が小学校の教科書に載るなどして語り継がれ、おかげで今も指折りの親日国だ」
と紹介されています。
更に「幼い頃から日本に恩義を感じていた」という、トルコ人の方の話が載っています。
その方は、十七年前に来日して、トルコの織物の商売をして、福岡にお住まいになって、九州各地の被災地支援をなさっているそうです。
「沈没事故から130年の今年は10年前に日本トルコ文化協会が作った漫画「絆ートルコと日本の120年」を私費で増刷。
「過去の出来事から日本を誇りに思って、元気を出してほしい」と被災地の小学校に寄贈する予定だ」
と書かれていました。
「過去の出来事から日本を誇りに思って、元気を出してほしい」
という言葉には心打たれました。
過去を捨て去れと禅では説きますが、良い過去の事を思い起こして元気を出すことは良いことだと思います。
幸田先生の訃報に接して、エルトゥールル号事故百三十年に因んで話をしようとしていたことを思い起こしました。
十二月の日曜説教には、是非ともこの話をしたいと思っています。
横田南嶺