古今亭志ん橋師匠
古今亭志ん橋師匠とは、長いご縁でございます。
私が学生時代に出家し、今も兼務住職を務めるお寺が東京の白山にある龍雲院であります。
先代の小池心叟老師は、志ん橋師匠がまだ若手の頃に、お寺を寄席として使わせてあげていたのでした。
そんなご縁があって、龍雲院のお施餓鬼法要では、毎年志ん橋師匠に落語を一席お願いしているのであります。
今からもう十五年前に私が兼務住職を務めるようになってからは、毎年施餓鬼にお越しいただいて、控え室でお話をさせてもらっていました。
ところが、当時の私は落語というものについて全く知識がなく、控え室で話をする話題がすぐに無くなってしまうのでした。
主催する側が落語について何もしらないのでは、先方も気が乗らないのだろうと思って、少しずつ勉強しました。
調べると、志ん橋師匠という方は、古今亭志ん朝師匠のお弟子で、晩年の古今亭志ん生師匠のお世話もなさっていたと分かりました。
しかも古今亭志ん生師匠という方は、たいへんな名人であったということも知るようになりました。
そこで控え室で、「師匠、志ん生師匠という方はどういう方でしたか?」などうかがうと、そこから話が弾むのです。
それから、毎回の落語が終わると、師匠に今日の演目は何というのですかと聞いたりして勉強しました。
そうこうするうちに段々と私も詳しくなってきまして、落語と法話と全く別物で行っているのがもったいないように思い、ここ数年は、こちらから落語の演目を指定しておいて、その落語の内容を受けて、私が法話を作っておこなうという、いわば落語と法話の「コラボ」を行うようになっています。
そうすると、師匠もご自分の落語のあと、その内容を私がどんな法話にするかご関心があるのか、残って法話も聞いてくださるようになりました。
今年も楽しみにしていたのですが、コロナ禍にあって施餓鬼も開催できず、師匠にもお目にかかれずにいました。
鎌倉に所用があって立ち寄ったとのことですが、久しぶりにお目にかかれてうれしく思いました。
師匠は今や古今亭の一門では最古参とのことです。
別れ際「まだしばらくたいへんな状況が続きそうですね」と申し上げると、
師匠は、「こんな時はしょうがないね、あわてても仕方ないからゆっくり待つしかないね」と明るい笑顔で仰ってくださいました。
飄々としてこだわらない落語家のお姿に触れることができました。
横田南嶺