心を調える
「沈」というのは、坐禅をしていて、心が薄暗く、ぼんやりとして、記憶もはっきりせず、頭がどうしても低く垂れがちになってしまう状態です
そういうときは、精神を鼻の頭に集中し、心を常に一つのことに集中して分散させないようにする。これが「沈」に対する方法です。
そんな時に心を下の方に落ち着けようとすると、却って眠気が襲ってきます。
次に、「浮」いうのは、坐禅をしていて心がゆれ動いて、体もまた落ちつかない状態になり、ついいろんなことを考えたりしてしまうことです。
そういうときには、心を下の方に向けて落ちつけ、意識をおへその下あたりに集中させて、乱れがちな心を制するようにします。
そうすると心が定まって落ちついて、心は次第に安らかに静かになってきます
そのようにして、「沈」でなく「浮」でない状態にすることです。
それから次に、「寛」と「急」ということがあります。
一般にも、「緩急」という言葉が使われています。
「緩急」は、「ゆるやかなことときびしいこと。遅いことと速いこと」であって、「緩急よろしきを得る」というように使われます。
心が「急」になっているというのは、心が緊張して高ぶってくる状態です。
これは坐禅にひたすら集中しようとして、むりやり禅定に入ろうとすることから起こります。焦るのです。せかせかしてしまうのです。
そうなると気が上にあがってしまいます。そこで気を下の方へ下の方へとおろす様に意識をします。こうすることによって、自然の落ち着いてきます。
次に心が「寛」になってしまうというのは、緊張感を全く欠いてしまって、緩みきった状態のことです。
そうなると、心があちらこちらへと止まることなく飛び回ってしまい、姿勢も乱れてしまいます。
ぼんやりとしてしまい、うつろな状態になってしまいます。
こういう時には、まず姿勢を正すことです。
キチンと坐を組んで、腰を立てて、背筋を伸ばすことです。それから心を引き締めて一つのことに集中するように心がけます。
このようにして、まずその時々の自分の心の状態に応じて、引き締めるか緩めるか、上に上げるか下におろすかよく観察して心を調えて、禅定に入ってゆくようにします。
僧堂でも、只今は、『天台小止観』にある教えを参照しながら、ただしく禅定に入ることを心がけています。
横田南嶺