松下幸之助翁の話
(日経トップリーダー2009,10 「会う人がすべてが、幸之助の虜になった なぜ一見の相手にも深く頭を下げるのかー江口克彦 PHP総合研究所社長)
一読して深く感銘を受けました。
とある中小企業を経営する五十代の方の話です。
大阪の方ですが、東京に仕事で出掛けました。
松下幸之助翁の大のファンであったといいます。
それがたまたま帰りに東京駅の新幹線に乗ったら、通路を挟んで斜め前に松下幸之助翁が坐っていたというのです。
何とか一言でも話しかけてみたいと思うのですが、相手にもされないだろうと尻込みします。
それでも千載一遇の好機を逃したくないと思って、当時車内で売っていた冷凍ミカンを買って、幸之助翁に差し上げてみました。
それがきっかけになって一言でもお言葉を聞けたらいいと思ったのでした。
恐る恐る冷凍ミカンを「どうぞ」と差し上げると、幸之助翁は驚きながらも「ありがとうございます」と受け取られて、それから二十分も話ができたというのです。
それだけでもその方は感動しました。
京都駅に近づくと、幸之助翁は降りる準備を始めました。
すると、その方のところまで来て、「先ほどはありがとうございました。ミカンおいしかったです」と丁寧に御礼を言われたそうです。
更に驚いた事に、ホームに降りた幸之助翁は、その方の席のところまで来て、お辞儀をされました。
そして新幹線が動き出すまで、見送ってくれたというのです。
全く一面識も無い人に対する幸之助翁の丁重なふるまいに感激したその方は、大阪に帰ってから、自分の会社と家にある電化製品をすべて松下の製品に替えたのでした。
なぜ初対面の人に対しても、こんなに丁重に応対されたのか、その文章の中には幸之助翁の深い思想が書かれていました。
人間は誰しもとても素晴らしい能力を与えられている、だから老いも若きも偉大な存在なのだと。
その人がお客であろうがなかろうが、顔見知りであろうがなかろうが、今自分は素晴らしい人と話しているのだから、失礼のないように礼を尽くさなければならないというお考えだったという話なのです。
これは、小欄でも紹介した、「常不軽菩薩」の精神そのものと言っていいでしょう。
そう分かっていながらも、忙しかったり、或いは自身が高名になったりすると、ついぞんざいな応対をしてしまいがちであります。
松下幸之助翁の素晴らしい逸話に感動しました。
そしてこの話を教えてくださった知人に感謝します。
横田南嶺