ありがたき
ありがたき空気や水や小鳥くる
という、三橋敏雄さんの句が紹介されていました。
坪内稔典先生は、
「空気や水は当たりまえに存在するので、
ついついありがたさを忘れがちだが、
その当たりまえな日常に小鳥はやってくる。
だから、ありがたいんだよ、と言っている感じ」
と解説されていました。
俳句はわずか十七文字ですが、奥深いものです。この句なども語呂もよろしく、口ずさんでも心地よく、なにか幸せな気持ちになれるものです。
俳句には、必ず季語が入ると聞いていますので、この句の季語はどれかなと、はじめは分かりませんでした。
「小鳥来る」が季語だそうです。
「小鳥」だけでも季語だそうで、
「秋、日本に渡って来る鳥や、山地から人里に降りてくる小鳥たちのことをいう」のだそうです。
そういえば数日前に、小鳥ならぬ、大きなサギが池に飛んできていました。
これは池の魚を食べてしまうので、ありがたいとは言いがたいのであります。
とはいえ、このところ、「ありがたき」と思う事が続いています。
十一日の日曜説教では、ホームページからの抽選で三十名の方に限定して、方丈の中にお入りいただいて、法話ができました。
長らくカメラの前で一人話をしていたのが、三十名とは言え、人前で話すことができたのは、何とも「ありがたき」ことでありました。
今まで毎月お目にかかっていた方もいらっしゃって、久しぶりにお顔を拝見できて、嬉しく思いました。
少しずつ、世の中も動きつつあるのか、学校の坐禅会なども再開されて、方丈の中で多くの子供達が坐禅する姿を目にするようにもなりました。
また毎年行っている東邦大学看護学部の研修会も行われ、これから看護師になるであろう方々に、お話することもできました。
看護師になられる皆さんには、いつも「観音様」の話をしています。
観音様は、人の苦しみや悩みの声を聞いて、手をさしのべてくださる菩薩様です。
看護師の方も、人の痛み苦しみの声を聞いて、手をさしのべてくださるので、同じお心であります。
若い学生さんたちが、お寺で畳に座って私などの話を聞くのはたいへんだろうなと思いますが、熱心にメモを取りながら聴いてくれています。
「ありがたき」ことであります。
横田南嶺