心が仏である
たしかに、「心が仏である」というのは、素晴らしい言葉ですし、禅の大事な要点をついているのです。
しかし、いきなり、あなたの心が仏ですよと言われても、ピンと来ないというのは無理もないと思います。
春を探すという漢詩がございます。
春はどこにあるのか、探し求めて旅にでるのです。
あちらの村にないか、あの山の向こうにないかと、それこそわらじがすり切れるまで旅を重ねました。
しかし、どうにも春が見つかりません。
くたびれ果てて、我が家に帰ってみると、庭に梅の花が咲いていました。
その梅の花を見た時に、ああ春はここにあったと気がついたという意味の詩であります。
「春は枝頭に在って已に十分」という結句がよく知られています。
いきなり、春はここにありますと言われても、そうかなという感じで、ピンと来ないのでしょう。
やはり、春はどこにあるのか、探し求めた末に、ああここにあったと気がつくのです。
臨済禅師の目覚めにしても同じ様子なのです。
臨済禅師が黄檗禅師に参禅して、三度にわたって「明確な仏法の根本義とはどのようなものでしょうか」と尋ねて、三回とも打たれてしまいました。
何の事か、まったく分からないでいる臨済禅師に、大愚和尚は、
「黄檗はそんなに親切であったか、あなたの為にへとへとになるまでやってくれたのか」
と言われて、はじめて気がついたのでした。
仏法の根本義とは、まさにその問いを発した自分自身なのだと気がついたのでした。
仏法の根本義とは何でしょうかと問う、まさにその心こそが仏だったと気がついたのでした。
その気づきが得られるまでには、臨済禅師にしても、
「わしも昔、ものが見えていなかった頃、心は真っ黒な闇のなかであった」
と仰せになっているように、真っ暗闇をさまよう日々を送られていたのでした。
「そこで、いたずらに時を過ごしてはならぬとばかり、腹のなかは焼け、心のうちは焦りながら、あちこちに奔走して道を問うたものであった」
とも述懐されているように、
「焦燥に駆られながら道を求めて奔走していた」のでした。
更に黄檗禅師の元でも、「行業純一」と言われるように、純粋にひたむきに修行を重ねていたのでした。
そんな機が熟した時に、師の黄檗禅師が、仏法はまさしくあなた自身の心そのものだと、ずばり端的に棒をもって示してくれたのでした。
そこでようやく、ああこれでよかったのだ、なにも外に求める必要はない、無事なのだと納得できたのです。
何も求めないで、そのまま仏であると言われてもピンと来ないのは無理もないことです。
やはり、求めて求めて求め抜いて、その果てに、その「心が仏である」と確信できるのです。
横田南嶺