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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.09.27
今日の言葉

泣きながら笑う技

岸田奈美さんの本『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』は、「泣きながら笑う技と、怒りながら信じるコツがたっぷり書かれている」と阿川佐和子さんが勧めてくれているように、悲しい話なのですが、笑うことができる一冊なのです。

読んでいると、悲しい話に泣きながら笑うのか、笑う中に悲しい話があるのか、分からなくなります。

「はじめに」の冒頭が、

「気がつけば作家になっていた。

いや、本当にわたしは作家なのかしら。代表作といえるものはないし、小説や詩を書いたこともない。

下手の横好きが肥大化して、下手の縦横無尽好きのようになっただけだ」

で始まっています。

「はじめに」の中に、父との別れが書かれています。

「わたしは、父が大好きだった。

それなのに、反抗期だった中学二年生のわたしはいってしまった。ささいな争いがきっかけで、「パパなんか死んでしまえ」って。目も合わさなかった。

その夜、父は急性心筋梗塞で病院に運ばれた。二週間、父は目を開けないまま、息を引き取った。

いちばん大好きな父との、最期の会話がいちばん伝えたくなかった言葉になった。わたしはずっと後悔していた。……」

というところです。

どれほどの悲しみなのか、想像を絶します。

更に、「母に「死んでもいいよ」といった日」の章には、高校一年の時にお母さまが、過労で倒れてしまい、突発性の大動脈解離で、下半身麻痺となってしまった話が書かれています。

今まで元気だった母が急に倒れて入院、医師からは、手術しても手術中に亡くなる確率は八十%を超えますと告げられました。

そう言われて手術の同意書にサインして手術をお願いしました。

結果一命をとりとめたものの、下半身麻痺の身体となったのでした。

それでも皆の前では明るく気丈に振る舞われていたのでした。

しかし、ある日のこと、看護師さんに泣きながら「もう死にたい」と訴える母の声を病室の外から聞いてしまいました。

奈美さんは、自分が手術の同意書にサインした為に、母を生き地獄に突き落としたと自分を責めたのでした。

長いリハビリが功を奏して、ようやく外出の許可がでました。

外に出ればきっと気が張れるだろうと思っていたのですが、駅のエレベーターが見つからない、人混みの中をなんども人にぶつかりながら歩き、あやまってばかりになります。

探したお店も車いすでは入れないと気がつきます。

ヘトヘトになってようやく車いすでも入れるカフェを見つけて入りました。

疲れ切ったお母さんが、奈美さんに打ち明けたのが、「生きている事がつらい、死にたいと思っていた」ということでした。

そこで、お母さんに言った言葉が

「ママ、死にたいなら、死んでもいいよ」でした。

そのとき奈美さんはパスタを食べながら言ったと書かれていますが、それは、「なにかをしていないと、わたしの方が泣いてしまいそうだった」からなのでした。

さらに奈美さんは、パスタを食べながら、

「もう少しだけわたしに時間をちょうだい、ママが、生きててよかったって思えるように、なんとかするから」

「大丈夫」

「二億パーセント、大丈夫」

と言ったのでした。

それから、大学で福祉を学び、新しい会社を立ち上げ、お母さんを雇い、講演をしてもらうようになったのでした。

初めて講演をしたお母さんが、多くの方から感謝されて、

「歩けへんなってから、はじめてだれかからありがとうっていわれたかもしれへん」

「奈美ちゃん、ほんまにありがとう、わたし生きててよかった」

と言われるようにまでなったのです。

本書は全編家族愛に満ちあふれています。

暗い話と思われるかもしれませんが、文章が楽しいので、暗さを感じません。

笑って読んでいると、

「わたしにとって生きるというのは、がんばることではなかった。

ただ毎日「死なない」という選択をくり返してきただけの結果だ。

グラフにすると、谷があって、ゆるやかに、ゆるやかに、ほぼ並行に見えるくらいゆるやかに、上昇していくイメージだ。

父が死んで、母が下半身麻痺になって、障害のある弟とふたりで過ごして、正直つらかった。

生活がつらいわけではない。

毎日毎日、悲しくて悲しくて、しょうがない。

それがつらかった。

でも、家族を残して、死ぬことはできなかった。

だから、生きた。何をがんばるでもなく、ただ、毎日、死なないようにした」

という文章があって、ハッとさせられます。

こんな悲しみを抱えて、それでも明るく生きておられるのだと、感動するのであります。

悲しいことの極みと、楽しいことの極みとは一つなのかもしれないと感じる一書なのであります。


 

横田南嶺

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