役に立つこと
山元加津子さんという方の新著『リト』と、『1/4の奇跡 「強者」を救う「弱者」の話』という本でした。
山元加津子さんという方のことを、私は存じ上げていなかったのですが、元特別支援学校教諭の方であります。
山元さんが、コロナ自粛の四月から一気に書き上げて、この時期に読んでもらいたいという強い思いで出版されたとのことでした。
リトは犬の名です。
まだ生まれたばかりの子犬リトが、お腹を空かせて大きな牧場にたどりつきました。
牧場ではたらく男性が、白い犬を叱っていました。
「ちゃんと仕事をしろ、お前は羊さえ追えなくなってしまったのか」と。
犬はうなだれていました。
老いた犬は、リトにため息交じりに言いました。
「もう年をとって、羊も追えず、役に立たなくなった、だからここにはいられない」と。
リトは言いました。
「羊は追えなくても、一緒に昔話ができるよ、朝、おはようと言えるよ。それは役に立つということじゃないの?」と。
男性は、その言葉に「まるで何か大切なことに気がついたみたいにハッとして、とても悲しそうな顔をしました」
更にリトは牛小屋に行きました。そこで一頭の牛に、何か食べさせてとお願いします。
しかし、相手にしてもらえません。
子牛を亡くしたばかりの母牛が、声をかけてくれましたが、役に立たない子犬のリトはここにいてはいけないと言われました。
リトは、「ボク、ミルクは出せないけど、一緒に楽しいおしゃべりもできるし、それにきれいな夕日をずっと一緒に眺めていられるよ」と言います。
リトは「役に立つ」という言葉と「役に立たない」という言葉について考えてゆきます。
そんな話が続いているのです。
いろんなことを考えさせられます。
役に立てばいい、役に立たないものは要らない、そのような考えに疑問を投げかけてくれます。
やがてリトは、パンを焼いてくらす家に行きます。
そこで幸せに暮らすのですが、流行病が起こりました。
みんながうつらないようにと家の外にでなくなるというのです。これは今のコロナ禍を想定して書かれているのでしょう。
こんな言葉がありました。
「誰のせいとか、誰が悪いとか思っても、流行り病いがおさまるわけではないのよ。誰かを恨んではだめ。恨むことは返って、ことを悪い方向へ進ませるわ。できることは、今、何をしたらいいか考えること、前を向いて歩いていくことよ」と。
犬のリトには、感染しないことが分かって、焼いたパンを村の人たちに届ける役をするようになっていくのです。
もう一冊の『1/4の奇跡』も考えさせられる本であります。
柳澤桂子先生も書いておられます。
柳澤先生の文章に、
「……人間には、人を癒やす能力が備わっている。また、癒やしを受ける能力も備わっている」
と書かれていて、そのあとに
「しかし、人を癒やす能力は、傷ついた相手を「助けよう」と思ったその瞬間に失われてしまう」というのです。
では、どうしたらいいのか、
柳澤先生は、
「まず「癒やす」という気持ちを捨てることです。そして、苦しむ人を、あるがままの状態で受け容れ、いかなる価値基準でもその人を判断しないことが肝心なのではないでしょうか」と言うのです。
そして、
「ちょうど太陽の照りつける道を歩んできた旅人に、涼しい木陰を提供する大樹のように、無心になることです」と説かれているのです。
まさに、これは「無分別」「無心」が真の慈悲になることを説いているように思われて嬉しくなりました。
まずは、「役に立つ」「役に立たない」という判断を離れて、「無分別」であることです。
それには、やはり、一切の善悪を離れて坐ることでありましょう。
坐ることにまで、善悪や、役に立つ、立たないなどの判断を入れてはならないのです。本当にただ「坐る」、ただその場に「いる」だけなのです。そこに徹するのであります。
横田南嶺