微笑みの効用
ご覧になった方から、マスクをしていると息苦しくて、マスクの下では口がへの字になってしまっていることに気がついた、マスクの下も微笑みを気を付けますとお手紙を頂戴しました。
今月のPHPに、落語家の林家木久翁師匠が次のようなことを書かれていました。
木久扇師匠は、東京日本橋の生まれ、小学一年生の時に、東京大空襲に遭われました。
毎晩アメリカの爆撃機が飛んできて、爆弾が落とされる度に、すごい音と地響きがして、火の手があがり、あたりが昼間みたいに明るくなるそうです。
その度に祖母の手を引いて小学校の防空壕に逃げ込んだそうです。
木久扇師匠は、自分の人生はあの空襲で終わっていると書かれていました。
今まで生きてこられただけで奇跡であり、トクをしたというのです。
そんな師匠ですが、楽しい方でいらっしゃるのはご存じの通りなのです。
古今亭志ん朝師匠の告別式の帰りに、地下鉄に乗ってられた時の事、初老の男性が木久扇師匠に近づいてきて、「木久蔵(当時)さんですね、私はあなたに助けられたのです」と言われました。
どういうことかというと、その方は美術商で、バブルがはじけて画が売れない、奥さんに先立たれてしまうということが続いて、もう死のうと思っていたそうです。
自殺しようとして車を走らせていたら、ラジオから当時の木久蔵師匠の落語が流れてきました。
それがおかしくて、おかしくて、路肩に車を止めて笑っていたそうです。
そのうちに何だか自殺するのがバカバカしくなってやめたというのです。
そこで「木久蔵さんは私の命の恩人です」と感謝されたという話でした。
仏法は障子の引き手、峰の松という言葉を紹介したことがあります。
落語なども、どうしても無くてはならぬものとは言えないでしょう。
でもそういうものが全く無くなってしまったら、息苦しくなってしまうと思います。
何の意味もないような事に、ケラケラ笑う、笑ううちに元気が出てくるということがあります。
黒住宗忠にも私の好きな逸話があります。
ある病に臥している方が、相談に見えました。
黒住宗忠は、とにかく陰気ではいけない、陽気にならなければと言って、笑うことを勧めました。
きっとその方は病に臥せて長らく笑ったこともなかったのでしょう。
「とても笑うような気になれません」と訴えました。
黒住宗忠は、「おかしくなくても、つとめて、とにかく笑うのです、ハッハッハと笑うのです」と諭しました。
わざと笑うのならできなくもないと思って、笑おうとするのですが、そううまく笑えません。そんなことを無理にやっても少しも面白くもありません。
自分でもばからしくなってきます。
それでも勤めて笑おうとします。
そんなことを繰り返すうちに、自分の影が行灯の灯でふすまに映っているのが目にとまりました。
なんと頬のこけた病人が、ことさらに大きく口を開けては、無理に笑おうとしているその不格好な姿がおかしく、おかしくて、思わず噴き出し、腹をかかえて笑ってしまいました。
いつも暗く沈んでいた病室から大きな笑い声が聞こえてきて、家の人も驚きました。ふすまの影を見て家の者もみな腹をかかえて笑いました。
病の人もなお一層高らかに笑いました。
久しぶりに大笑いすると、お腹も減って食欲も出てきて、何よりも心の陰気が去ってしまい、愉快に陽気になったのでした。
それから病気も快方に向かったというのです。
つまらぬことばかりと思っていても、まずは笑ってみることです。
気が晴れます。自分も周りも明るくなります。
横田南嶺