真の自己
江戸期の鈴木正三という禅僧は、
「修行の肝要は、自己を守る一つ也」
と言っています。
真実の自己を失わないことだというのです。
その自己とはどんなものかについて、大森曹玄老師は、
「妄念妄想のかたまり、欲望のかたまりを自分と思っているのは、とんでもない間違いだ」
と指摘されています。
自分の欲望だけを追いかけるのとは訳が違うのです。
大森老師は
「真実の自己は宇宙大の大きさを持ったものだ」と仰います。
その大いなる自己に気がつくためには、
「後天的な妄想ででっち上げた自我というものをまず粉砕することである」
と言われています。
これが坐禅の修行です。様々な修行はみなこのことを実践するのです。
そして、
「大きな命とともに生かされて生きる」のです。このことを自覚するのです。
「われわれは時間的にいえば無限の祖先とつながっている。
親から祖父母、それからずっと遡っていけば、つい宇宙の根源につながる。
横にはわれわれはすべての空間的存在と連なっている。
鼻からは空気を吸う。
皮膚からは太陽光線を吸収し、一切の宇宙的なものを吸収してそのまん中に自分がある。
時間的に無限の時間、空間的に無辺の存在、この時間性と空間性の交差する焦点に私がある」
と大森老師は解説されています。
調べたいことがあって、久しぶりに、大森曹玄老師の『驢鞍橋講話』を繙いてみると、なるほどと素晴らしい言葉が満ちあふれています。
『十牛図』で説いている真の自己とは、そのような無限の時間、無辺の空間の交差する真ん中にあって、生き生きと生かされて、活動しているものであります。
妄念妄想を追いかけていては、ますます遠ざかります。
横田南嶺