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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.08.29
今日の言葉

因と縁

因とは原因、縁とは条件とでも申しましょうか。

『大乗起信論』には、因と縁について、木と火の譬えが用いられて分かりやすいのです。

木は、燃えるものです。

ですから、木には燃える原因となるものがあるのです。

起信論は、「木中の火性は火の正因」と説かれています。

木は燃えるものであるということは確かでありますが、何にもせずにそのままで燃えることはありません。

誰かが、この木に気づいて燃やすことをしないと燃えないのであります。

マッチで火をつけたり、焚き付けを作って燃やしたりしないと火はおこらないのです。

外からいくら火をつけようとしても、燃えるものでなければ燃えません。石に火をつけようとしても燃えないのです。

木には燃える原因があることは確かですが、条件が整わなければ火はおこりません。

人は仏になるものです。

仏になる原因を持っています。これを「仏性」と申します。

しかし、仏菩薩の導きや良き指導者に出合ったり、よい書物を読んだり、実際に修行したりするという縁に触れないと、仏にはならないのであります。

木はもえる性質のものでありますが、湿ったり濡れたままだといく火をつけても燃えないのです。

良い条件を整えることが必要なのです。

『延命十句観音経』に「与仏有因、与仏有縁」という言葉が出て来ます。

「与仏有因」は、「仏と因あり」であって、仏になる原因を持っていることを表します。

しかし、「与仏有縁」という良き縁に逢わないと仏にはならないのであります。

私たちは、まだ濡れたままの木であるのかもしれません。

そうであれば、まずよく乾かすことから始めなければなりません。

仏になるには、まず「戒」というよき習慣をしっかりと身につけることから始めます。

そして心を調えて、波立たないような静かな、そして素直な心になることです。

そのうえで、よき指導者の教えを受け、よき書物、経典語録などを読んでいくのであります。

そのような条件が整って仏になるのです。

後に禅では、心が即ち仏であると説くようになるのですが、単にこのままでいいというわけではありません。

「このままで仏だ」という場合もありますが、それは原因と条件、因と縁が十分に調った上でのことなのです。

木と火の譬えは分かりやすいものです。
 

横田南嶺

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