拝みたくなる心
内山老師の本は、高校生の頃に愛読したものです。
今書架にあるのは少ないのですが『天地いっぱいの人生』をとり出して読み返していました。
冒頭に、内山老師が、当時住職しておられた安泰寺に、アメリカの青年がやってきた話を書かれていました。
髪の毛を長々と伸ばし、ヒゲもふさふさに生やして、まるでインディアンのような青年だったようです。
そんな青年の頭を剃って、法衣を着させて、一緒に坐禅し托鉢もしていました。
その青年が内山老師に、こんなことを聞いてきたそうです。
「ワタシ、とっても拝みたくなる気持ちがおこる。拝むということは、ほんとうは、どういうことですか」というのです。
「拝みたくなる心」、それはどんな人にでも具わっている心です。
単に困った時の神頼みというようなものではありません。
内山老師は、この「拝みたくなる心」が、アメリカの若い青年をしてはるばる言葉も通じない日本に来て、足の痛い坐禅までさせるのだろうと思われました。
拝みたくなる心を、人間は有史以前の大昔から持っていたであろうと内山老師は仰っています。
もともと、人間が生きるということは、日々命がけでありました。
今のようにサラリーマンが出勤するのと感覚が違います。
原始の自然の中で、狩りをしたりするのは、命がけであって、出て行く者も、送り出す者も、どうか今日も無事でありますようにと祈る気持ちでいたというのであります。
農耕が始まるようになっても、収穫のよしあしは、必ずしも人間の思惑通りにはいきません。せっかくみのりかけた作物も天候一つで駄目になることは今日でもあるとおりです。
そんなときにもまた、拝みたくなる心が起きてくるのです。
更に科学技術文明が発達して、人間の思いの通りのものができあがるようになってきました。
農業にしても拝むよりも、よりよい品種改良をして、資本力と機械力で土地を改良して農薬や化学肥料で、思いの通りにできるようになってきました。
そうなると拝む心も薄らいで、収穫を祈ったり感謝するお祭りも、単なる儀式か、娯楽になってしまいました。
命に関わる病気にしても今はかなり解明されてきました。
しかし、拝みたくなる心は決して無くなるものではありません。
内山老師は、
「私たちがアタマで工夫する能力の限界に出会ったとき、あるいはそのアタマで展開した世界の危機を感知したとき、初めて拝みたくなる」
と指摘されています。
「科学技術文明の発達した今日でも、決して危機がなくなっているわけではない」と書かれています。
今まさにその通りの時だと思います。
内山老師は
「究極には人類のすべてが、ほんとうの拝む心、祈る心を持つようになる、これ以外にはないと思う。苦しいときの神だのみというが、人類は今日すでに苦しい。避けようのない絶対の危機の方向へ足を突っ込んでいる。……ここで大事なことは、ほんとうの意味の拝む心を、気のついた人からまず学ばなければならないということです」
と言います。
では拝むということはどういうことなのか、
私たちがいまこうして生きているのは、個人的生命を生きています。
しかしほんとうは、この個人的生命のもっとも根底に、超個的な生命が生きているということだと内山老師は仰せになっています。
ほんとうの生命は個人的生命ではなく、超個的生命であり、その超個的生命に自己を明け渡すことが、「拝む」という心だというのです。
超個的生命というと難しいことのように聞こえますが、内山老師は安泰寺でチューリップを育てた話をされています。
同じ土から育って、赤や黄色様々なチューリップの花が咲きます。
その色は土の中にだけあるのではありません。
空気中からも炭酸ガスや酸素やいろいろな物質を吸収しています。
大陽の光と熱も欠かせません。
「つまりチューリップは天地いっぱいのところから芽を出して、天地いっぱいのところから真っ赤な花、真っ黄色の花、いろいろの花を咲かせている」
と語っておられます。
真実の仏とは、おのおの自己のなかに現実にはたらいている超個的生命、天地いっぱいの生命です。
内山老師は、
「個人的生命の我慾を突っ張って、いったいどこへいくのか」
「どっちへどう転んでも、われわれは無量無辺の自己の真の生命を生きてゆく以外にない」
「ほんとうに超個的生命に目覚めれば、今度は拝まずにはおられない、感謝せずにはおられないという世界がある」
そのことを一番端的に行じるのが坐禅なのです。
内山老師は、
「坐禅で大切なことは、はっきりと目覚めていながら、考えごとを手放しにすることです」
「はっきりと覚めて、生き生きと、しかものびのびと、ゆったりと、そのへんが真実生命のもっとも大切なあり方です」
と語っておられます。
そして、
「これからは人類全部が、ほんとうの拝み合う心、一切を生かし合う心、この根本精神を身につけて、初めて通り抜けることができるのだと思います」
と仰せになっています。
この言葉などは、三十数年も前の書物の言葉ですが、今まさにその通りと思わされます。
横田南嶺