障子の糊
という和歌を紹介して、先日の日曜説教を務めました。
山田無文老師は、その著『碧巌物語』に、
「「 仏法は 障子の引きて 峰の松 火打袋に うぐいすの声」と古人は歌った。
障子の引き手は、綺麗に張られた障子の一コマにわざわざキズをつけるのであるが、このキズがないと大いに不自由である。
峰の松は何百年来切って用材に使うことのない、いわば無用の長物であるが、この無用の長物のためにどれだけ往来の旅人が慰められ、道を教えられ、勇気づけられたことであろう。
火打袋は今日のマッチやライターのごとく軽便に行かぬので、はなはだ厄介千万な代物だが、愛煙家にはどうしても欠くべからざるもの、これを忘れた時の淋しさ不自由さは譬えようもないであろう。
また鶯がどんな良い声で鳴いたとて、銭もうけにも腹のたしにもならんが、この何にもならぬ鶯の声が、如何ばかり人生を和らげ潤おしてくれることか。
考えてみれば仏法というものも、所詮障子の引き手のごとく峰の松のごとく、はた火打袋か鶯の声のごとく、無用の長物に過ぎん。
しかしこの無用の用こそ人生にとって最も大切なものだというわけである」
と解説されていました。
これは石霜禅師の「七去」について説かれたところに出ています。
「七去」とは
「休し去り(妄想分別を休すること)、
歇(けっ)し去り(妄想分別を抛つこと)
一念万年にし去り(時間を超越した無心の状態)
寒灰(かんかい)枯木(こぼく)にし去り(心に一点の妄想の熱気もない状態)
古廟(こびよう)香炉(こうろ)にし去り(古廟の香炉には誰も焼香しないことから転じて、心に妄想の熱気がない状態を指す)
冷湫湫地(れいしゆうしゆうち)にし去り(冷ややかな沼地で煩悩の熱気がないこと)、
一條(いちじよう)の白練(びやくれん)にし去る(心が清浄潔白で一点の煩悩もないこと)ことを言います。
この教えを誤って受けとめてしまって、坐脱(坐禅したまま息を引き取ること)してしまった祖師がいました。
そんなことでは、「七去」の真の意味など到底理解はできないと言われたのです。
無文老師は、そこで、正岡子規の言葉を紹介されています。
『病牀六尺』に、
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」
とあります。
この言葉を引いて無文老師は、
「人生の如何なる悲境、逆境、難局にぶつかっても、そこを生き抜いてゆく力が潜でなくてはならぬ。
それは必ずしも強そうに力むことではなさそうだ。むしろ大いに柔になり、愚に徹することではなかろうか。
とぼけ切った大馬鹿者になることではなかろうか」
と示された後に、この「障子の引き手、峰の松」と説かれています。
玄峰老師の逸話集を読んでいると、これまた絶妙な譬がございました。
玄峰老師に多年隨身して修行された全生庵の平井玄恭師が書かれていました。
「老師はよく、
「お坊さんは障子の糊のようなものだ」と言われました。
「どうして糊ですか」と聞きますと、
「どんな立派な障子でも、糊が無かったならば障子の桟と紙が離れて障子の役目をしない。
しかし外から見ると、糊は有るか無いか分らない。
お坊さんは、この糊のように、人の知らない所で人と人とが仲よくし、一切の物事が円満に成り立って行くように働いてゆかねばならないのだ」
と言っておられました。
玄峰老師の九十六年の生涯を振り返ってみますと、丁度この障子の糊のように人々の知らない間に人々を導き、また人々の支えになっておられたことを痛感いたします」
というのであります。
玄峰老師は、つねづね「目立たぬように際立たぬように」と仰っていたと松原泰道先生からうかがったことがありますが、
目立たぬうちに、知らず知らずのうちに、仲良くおさまってゆくようになるのが大切だということです。
仏教ではいろんな譬を用いて真実を示そうとします。
特に禅では、日常の卑近な処から真実を示してくれます。
この「障子の糊」というのも、玄峰老師らしい、苦労の末に得られたところだと思います。
横田南嶺