大きな変化
普段買って読むようなことのない月刊誌です。
今回が「僧侶に尋ねよ」ですので、知り合いの僧侶も載っています。
目黒の円融寺の阿純章さんも載っていました。
阿さんは、「コロナは、仏教とは何かを考えるいい機会を与えてくれました」と語っています。
「20世紀は、今日よりは明日、明日よりは十年後にキラキラ輝く理想の世界がある。そう信じて前へ前へと進んできました。いわばdoing(行う)信仰の時代でした。
しかしここ十数年来、人々は何となく行き詰まりを感じ始めていました。ニンジンをぶら下げて走り、次はカボチャ、次はダイコンと走ってきたけど、
そこへコロナがドカンとやってきた。doingの時代は終わりを告げたのです」
と語っています。
「では、次は何かというとbeing(在る)の時代です」
と示してくれています。
それはどういうことかといえば、
「みんなは自分の足元を見て、そこでやりたいこと、楽しいことを探し、そこを掘り下げていけばいい、無理に人と競い合うこともありません」
というのであります。
人がみな同じ矢印の方向に向かって走るのではなく、人は円の外側に立っている画を示してくれています。
それは天台の一乗思想を表しています。
またそれは天台の宗祖最澄さんの教えでもあります。
最澄さんは
「人はすべて仏性がある。誰でも悟り得る。だから一艘の同じ船で、みんな一緒に悟りの世界を行きましょうと説きました」というのです。
なるほど、コロナを機会に、何かを追い求めるという生き方から、一乗の教えによって、皆が仏であることに目覚めるように転換しようということなのです。
有り難いお示しであります。
『サライ』の巻末には、五木寛之先生の連載もございました。
五木先生はいろんなところに連載されているのだと思いました。
五木先生は、コロナがこの世界に大きな変化をもたらすと警鐘を鳴らしています。
「……コロナウイルスの不思議さは、その実害よりもはるかに大きな衝撃を世界にあたえたことだ。社会的、経済的影響だけでなく、いや、それをはるかに超える変化をこの世界にもたらしたと言っていい」
と書かれています。
「無観客のスポーツ。無聴衆のコンサート。学生のいない授業。出社の必要のない企業。
なにかが変わるのだ。
……今日のコロナのパンデミックも、宗教と国家への考え方を大きく変質させるにちがいない。その影響の大きさに関していえば、中世のペストにも劣らぬ大きな変化をもたらすだろう」
というのです。
どうも私は元来温暖な紀州で育った為か、楽天的なところがあって、雨がやんだらまたお天気になるだろうというくらいにしか思っていないところがあります。
五木先生にお目にかかったならば、お叱りを頂戴しそうであります。
さて、どう変わるのか、良い方向に転じてゆくのかどうか、のんきに構えていないで、できる限りの努力をしなければと思っています。
横田南嶺