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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.07.22
今日の言葉

毘盧遮那仏 -びるしゃなぶつ-

僧堂の雲水達と、玉城康四郎先生の『スタディーズ 華厳』(春秋社刊)の輪読をはじめました。

今の時代には、華厳的ものの見方、華厳的世界観を身に着けておいて欲しいと思うからです。

はじめの方に、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)についての解説があります。

「世界としての毘盧遮那仏」という小見出しで

「毘盧遮那仏とは、われわれが今来ている宇宙世界そのものです」

と端的に示してくださっています。

そうなのです、私達が今生きているこの世界そのものが毘盧遮那仏なのです。

更に

「だからわれわれが今生きているということは、自分は意識しないけれども、実は毘盧遮那仏のまっただなかに生きているのです。

このことが基本になって華厳経が展開していく」

というのであります。

まさにこれが華厳の根幹であります。

ということは、

「今われわれは生きていて、やがては生命がなくなって死んでいくけれども、死んでも何もなくなるのではなくて、また次の世界に生まれ変わって新しい生命が展開するのですから、とにかく生きていても死んでいても眠っていても目がさめていても、われわれ自体が毘盧遮那仏のまっただなかに今呼吸し続けている。それが基本です」

と説かれているのであります。

そうしますと、

「本当の華厳経というのはそんな経典に現れているものではなくて、今われわれの耳には聞こえない、目にはみえないけれども、実は毘盧遮那仏はのべつまくなしに説法を続けている、それが本当の華厳経です」

というのであります。

こういう教えがもとになって、禅が起こっているのだといえます。

その目には見えない、耳にも聞こえないけれども、のべつまくなしに説き続けられているものを、坐禅によって聞こうとするのであります。

聞こうというよりも、そのまっただなかに自分も溶け込んでゆくのであります。

そのためには、頭で理解したようなことは却って邪魔にしかなりません。そこでそんなものを捨ててゆくのであります。

今呼吸しているそのものが毘盧遮那仏そのものであると体得するのであります。

 

横田南嶺

毘盧遮那仏 -びるしゃなぶつ-

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