桃太郎
桃太郎の画に、讃を書いて欲しいと頼まれて作られた偈でありましょう。
釈宗演老師の、ご親切、サービス精神がうかがい知れます。
どんな偈かというと、
既に種姓無く、又郷無し。
一世の英雄、桃太郎
若し人、寧馨の面を徹見すれば、
干戈を動ぜず、四疆を定む。
というものです。
種姓は、氏、血筋のこと。
寧馨とは、「そのような」というのがもとの意味で、寧馨児で、このような子。あのような子という意味になり、幼少よりすぐれているという意味で、子どもをほめていうことばとして用いられています。
干戈は盾と矛で、武器を言います。
おおよ意訳しますと、
桃太郎は、種姓も無ければ、ふるさとも無い。それでいて、一世の英雄、桃太郎だ。
もし、この子がどんな顔をしているのか、よく見とどけることができたならば、武力を用いなくても、この世界を安らかにすることができるであろう。
というほどの意味であります。
ちょうど、『桃太郎は盗人なのか?-「桃太郎」から考える鬼の正体-』(新日本出版社)という本を読んでいるところでした。
この本は倉持よつばさんという少女が書かれた本です。
昨年の秋に出されています。文部科学大臣賞を受賞された本でもあります。
本のはじめの方に、福沢諭吉の桃太郎についての見識が紹介されています。
「桃太郎が、鬼が島に行ったのは、鬼の宝を取りに行くためだったということです。けしからぬことではないですか。
……鬼の物である宝を、意味もなく取りに行くとは、桃太郎は、盗人ともいえる悪者です」
というのであります。
また、現代ではジブリの高畑勲さんの
「元々「桃太郎」は、もう明治初年からきわめて侵略的な物語だったことを忘れるわけにはいきません」
という『熱風』2015年2月号にある文章を引用されています。
この本では、いろいろの書物にある桃太郎の話を比較検証し、更には鬼とは何か深く考察されています。
一方的な物の見方をしてはよくない、思い込みや偏見を離れることが大切だと学ぶ事のできる本でした。
宗演老師が偈で詠われたように、武器を用いずに天下泰平になれば一番なのですが…
横田南嶺