こだま通信
森信三先生の教えを学ぶ会でのご縁であります。
いろんな勉強会をなされたり、おトイレの掃除をなさったり、積極的に活動されている方であります。
今月の葉書は、私の日曜説教の動画をご覧になって、そのことを書いてくださっていました。
「ようこそ、ようこそ」という題であります。
六月の日曜説教は、初めて同時配信をしたのですが、そのことについても書いて下さっています。
同じ時間に話をして、同じ時間に異なる場所で聞いているという、不思議なことであります。
今月も、十二日の午前九時にライブ配信を行いますので、是非同じ時間でお聞きいただけたらと思います。
こだま通信は、私の話を手短によくまとめてくださっています。
達磨大師の二入四行を、「誰も恨まない、巡り合わせ、何とかなる、お互い大変なのだと思いやる」と要約した言葉を紹介してくださっています。
日曜説教では、この二入四行の精神を実践された人として、因幡の源左さんを取り上げました。
源左さんはどんなことがあっても「ようこそ、ようこそ」、「仏さんのお心の中には、おらげの(私の)他人げのって、区別はないけんのう」と自他一如の世界に生きられました。
本当はみんな自他一如の世界に生まれて、自他一如の世界に生かされているのです。
そのことに気がつかずに、自我意識というものが、勝手に自分と他人との間に線引きをしているだけのことなのです。
今月の「こだま通信」の下段には、「自宅で写経」という小見出しで、円覚寺の写経を申し込みくださり、自宅で写経をなさっているということを書いてくださっていました。
この方は、はるばる四国から、一年に一度ほど、わざわざ日曜説教にお越しくださっていました。
今オンラインのおかげで、遠く離れていても、同じ時間に話を聞いていただけるというのは、実に有り難いことであります。
円覚寺においても、拝観を再開していますが、日曜説教のように、大勢が集まる行事はまだしばらく困難だと考えています。
再開することが出来る日まで、現代の機械のお世話になりながら、お聞きいただければ幸いであります。
森信三先生は、
「教育とは流水に文字を書くようなはかない業(わざ)である。
だがそれを岸壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」
と仰せになっています。
オンラインでの法話も、目の前に誰もいない中で話をしますので、なんの反応も得られずに、いくら話してもまるで漆黒の闇に吸い込まれていくような思いになったものです。
しかし、この頃は、こうしたお葉書を頂戴したり、「見ています」というお言葉をいただくおかげで、目の前に遠く四国で聞いてくださっている方の姿や、いろんな方々の姿を思い浮かべることができるようになってきました。
そうすると、一層力がこもり、誰もいなくても岸壁に字を刻むような気持ちに近づくことができます。
一枚の葉書をいただくことで、私の方も大きな力を頂戴できるのであります。
横田南嶺