三昧の力
華厳経入法界品を僧堂の雲水達と共に学び進めています。善財童子が五十三人の善知識を訪ねる旅の物語です。
旅の途中で、大光という王を訪ねます。
その王の城の内側には、百千の楼閣が建ち、庭の池には清らかな色とりどりの蓮が咲き、水底には砂金が敷きつめられています。
その蓮池のまわりでは、木々に色とりどりの花や木の実がなり、美しい鳥の群れが飛び交って鳴き交わし、さながら天上の神々の宮殿のようであったと記されています。
しかし、そんな素晴らしい所にいても、
「ここが小さな汚い城に見える者もいるし、瑠璃の地面も、ある者にはただの土であり、街路には小石や砂利が敷かれているだけにしか見えないし、急な坂や割れ目、尖った岩ばかりの危険なところだと思うものもいる。無量の宝石をもって荘厳した楼閣も、そのような者たちには土塊の塔に過ぎない」
というのです。
大光王の国も、かつては世が衰えて、民は天変地異や疫病や戦乱に苦しみ、お互いに傷つけあい、心が悪に染まって、殺しや盗みなどの悪をなして、寿命も縮めて多くの不善を為すということもあったといいます。
そこで大光王は、深く三昧にはいって、菩薩の大慈に心を集中しました。
深い三昧に入って、その国の人たちの悪心、害心、苦悩の心、闘争心などは尽く除滅したのでした。
深く三昧に入ることによって、人の心を静めたというのです。
三昧に入ることには大きな力があります。
三昧は祈りに通じます。
今、私たちに何ができるか、菩薩の大慈大悲の心に集中して、深く三昧に入ることだと痛感した次第であります。
横田南嶺