一期一会
今まで、いろんな出版社などの企画で様々な方と対談させてもらってきました。その都度新たな学びがございました。
イエローハットの創始者である鍵山秀三郎先生、作家の五木寛之先生、駒澤大学の小川隆先生、大峰山千日回峰行の塩沼亮潤大阿闍梨などなど、多くの出逢いに恵まれました。
対談をしてみると、こちら側もあらかじめその先生の本を読んだり、講演を聴いたりしただけでは、わからない新たな気づきがあるものです。
また先方からいろんなことを聞かれて、自分自身についても新たな発見があるのです。
対談というものが持っている可能性は大きいと思っています。
対話によって、お互いに思わぬ発見、気づきがあるものです。
今までは依頼されて受けていた対談ですが、こちらからお願いして対談してみようと思って始めました。
やがて、YouTube上に公開させていただきます。
その対談の折に、「一期一会」というよく知られた禅語について質問を受けました。
『広辞苑』を調べますと
「一期一会」
(茶会の心得から。利休の弟子宗二(1544~1590)の「山上宗二記」に「一期に一度の参会」と見える)生涯にただ一度まみえること。一生に一度限りであること。
この出逢いが生涯一度限りだと思って、接することを意味しています。
言葉の意味は分かりますが、私自身は、この言葉をわが身に染み通っていないと反省させられています。
私の父などは、実家にいた頃、たとえば夜に何かいただきものをすると、必ずその日のうちに食べるようにと言われました。
もう遅いから明日食べるようにしますと言うと叱られたものでした。
また禅宗の老師方も、そのときのことは、そのときにして、決して明日に延ばしたりしないようにと、厳しく指導されるものです。
私の父も、円覚寺の先代の管長も戦前の生まれで、戦時中を体験されてきています。
父は、あれこれ語ることはされませんでしたが、一緒に遊んでいた友人が空襲で亡くなるなどという経験をされています。
本当に、今出会った相手と再び会えなくなるということを実体験されていました。
ですから、今日のことは必ず今日に行って、明日に延ばさないと厳しく言われたのだと思います。
災害などでも、そんな体験をすることがありましょう。
しかし、私などは平和の時代に生まれ育ち、僧堂で修行したといっても実際に命の危険にさらされるわけではありません。
今日の出逢いが、一度限りかもしれないという実体験に乏しいのです。
ですから、「一期一会」というような厳しい言葉を、人に説くことはできませんと答えたのでした。
この頃特に、自分には到底及ばないことがあるということが分かってきたように感じています。
「一期一会」という言葉は、私自身が自らに問いかけるべきものであって、人には説けないという思いです。
森信三先生の和歌に
これの世の 再び無しといふことを 命に透り 知る人 すくな
とあります。
細川さんとの対談は、充実して実りあるものでした。しかし、私の心の中では、また次回お目にかかれるという甘えが残っています。
一期一会になりきれていない自分の甘さ、弱さを感じるのです。
横田南嶺