かんにんえ
怨親平等とは、『広辞苑』によれば、仏教語であり、
「敵・味方の差別なく、平等に慈悲の心で接すること」
と解説されています。
岩波の『仏教辞典』には、
「戦場などで死んだ敵味方の死者の霊を供養し、恩讐(おんしゅう)を越えて平等に極楽往生させること」
と説明されています。
この世において戦うことはやむ得ないかもしれない、しかし戦いの後は、お互いに怨みを残さないという教えなのです。
お釈迦さまの、
まこと 怨みごころは いかなるすべをもつとも 怨みを懐くその日まで ひとの世にはやみがたし うらみなさによりてのみ うら
みはついに消ゆるべし こは易らざる真理(まこと)なり(法句経)
というお心なのであります。
円覚寺では、開山仏光国師が、元寇のあと敵も味方も平等に供養したというのも同じ心であります。
勝っても、負けても相手を思いやる心なのであります。
武士道などには、この心が強くございまして、勝ったからといっても、今でもガッツポーズなどはしません。
武士にとっては、やむなく戦い、勝ったまでのことで、負けた相手を気づかい、合掌したのでした。
松原泰道先生のところに、ある時大学受験に合格したという青年が報告に見えたことがありました。
松原先生はそのときに、
「あなたが合格したということは、誰かが落ちたのだから、これからお祝いする前に、今悲しんでいる人もいることを考えて欲しい」
と言われました。
これが慈悲の心であります。
かつては、受験の合格発表の場でも、皆の前ではあまり喜びを表すことはなかったように思います。家に帰ってから祝ったのではないでしょうか。
発表の場には、残念な思いをしている子もいるからだからです。
ところが、ずっとこの怨親平等についていろんなところで話をしてきたのですが、今ひとつよく理解してもらえなかったように思っていました。
こちらの伝え方が悪かったのか、どうしてかと考えていました。
最近『甲斐和里子の生涯』を読んでいて、次のような話を見つけました。
それは甲斐和里子先生が創設した京都女子学園の教え子話です。
ある年、全国の卓球大会で、京都女子高校の生徒が予選第一位になった時のことです。
その勝利が決定したとたん、相手チームの選手は、卓球台に泣き伏してしまいました。
そこで勝った方の選手は、悔し泣きしている選手にかけより、自分も同情の涙を流してひとこと、
「勝って、かんにんえ」
と言ったというのです。
甲斐和里子先生は、「京都女子学園で浄土真宗の教えを授かった生徒だからこそ、こんな優しいわび言がいえたのだ」と悦ばれたという話なのです。
「勝って、かんにんえ」これは京都の独自の表現です。
「かんにんえ」は、「かんにんしてね」という気持ちです。
「かんにん」は「堪忍」であって、『広辞苑』には「①たえしのぶこと。こらえてがまんすること。②怒りをこらえて許すこと。勘弁」という解説がなされています。
「勝って、かんにんえ」というのは、私が勝ってしまったけれども、悔しい思いをこらえて許してねという気持ちなのです。
こんなやさしい心こそ、怨親平等の心として私が伝えたかったものであります。
横田南嶺