ポストコロナ
論点は二つ。まず一つは、コロナ禍を機に、人間が地球環境に与えている負荷について、もっと深く考えるということだそうです。
たしかに、コロナウイルス感染拡大を止めるために、工場を休ませ、車の運行が減り、飛行機も止まって、インドなどでは、数十年振りにヒマラヤが見えるようになったと言われます。大気汚染が改善されたとのことです。
しかし、長谷川先生は、いま外出自粛のなかで、個人がオンラインビデオを見るようになって、それによって排出される二酸化炭素の量も、全世界の排出量の1%にあたると書かれていました。航空機の運用による排出が全体の2.5%なので、かなりの量になるといいます。
そう言われますと、私なども映像を配信していることを考えてしまいます。
おりから五木寛之先生が連載されている文章の中で、山際寿一先生の朝日新聞の記事の中にあったという
「ウイルスが蔓延する時代にどんな社会が強靱な抵抗力を持つのか。まずは自然破壊の手を緩めることだ」という一文を紹介されていました。
五木先生は、「近代から現代にいたるまで、私たち人間は信じられないほどの自然破壊を行ってきた」と指摘し、
更に「なぜウイルスはパンデミックをおこしたのか。それはグローバルな自然破壊に対する生物界のレジスタンスではないのか」とまで書かれていました。
思えば鈴木大拙先生が、関東大震災の後に、「震災所感」と題して、「此自然が人間のやった仕事に對して、その「意見」を吐いた。
そうしたら、その結果が「未曾有」の災害と云ふものになって、吾等の生命も財産も、一分時にして奪ひ去られ、壞了せられた」と書かれていました。
コロナ禍とも言われる今回の一件は、とても妙好人のように「ようこそ、ようこそ」と言っていられるものではありません。
長谷川先生の記事の論点のもう一つは、
私が論じたいもう一つの点は、そもそも「競争に基づく発展」という価値観についてであるというのです。
「私たちは、近代の数世紀にわたって、他人に打ち勝つ、他社に打ち勝つ、他国に打ち勝つ、という目標のもと、より多くの富を生み出そうとしてきた。競争は発展の源泉であり、競争に勝つためにはイノベーションを創成せねばならない」
と指摘されています。
そして、「この競争信仰に基づく人間活動が、多大な環境負荷を生み出してきたのは事実。それだけではない。この競争信仰は、競争社会に住む人々の多くに精神的ストレスと不幸と矛盾をもたらしてきた」
と厳しい見解をしめされていました。
ですから、「しかし、こうして永遠に右肩上がりを実行することは不可能なのだ。一つしかない地球の上で、永遠に富の増加を求めることは不可能である」
ということに私たちが気がつかねばならないというのです。
そこで、「これまでの競争信仰に代わるまったく新たな価値観が出現することを期待したい」
というのでした。
確かに、資本主義、合理主義などの考えにお互いに染められてきているのだと思います。
もはや、成長を追い求めて続けるのは無理が来ている、この地球の中で如何に共存して生きてゆくかという視点を持たなければならないのであります。
そうなると仏教の中でも、あらゆる多様性を認めてゆく華厳の思想が大切になると思っています。
横田南嶺