離れていることは
話をするのは同じことですが、聞いてくれる生徒さんたちのお顔、お姿が見えないというのは寂しいものであります。
六月には登校できるのかなと期待していたのですが、前期はオンライン授業になるとのことを聞きました。
ただいま大学は、そのために生徒さん一人一人と対応しなければならず大変な状況とのこと。
まるでコールセンターのようになっているとうかがいました。
佐々木閑先生が、YouTubeを使って早くから学生さんたちの為に授業をなさってくれています。
その講義を聴いて、先生にメールで感想なり質問なりしてもらうのだそうです。
先日のお話を拝聴していると、先生はそのすべてに返信をされているとか、これまた大変な作業だと思います。
ただ、佐々木先生は、そのような形で生徒さんとそれぞれやりとりをしていると、対面の授業よりも、一層親密になって、オンラインの良さもあると仰せになっていました。
有りがたいお言葉であります。
私の修行道場でも,三密を避けるためにご自分のお寺に待機してもらっている者もおりますので、課題の書籍や映像を送って、その感想文を書いてもらって、返事を書くようにしています。
普段修行僧に手紙を書くことなど、まず無いのですが、有りがたい機会だと思っています。
だらだらと無自覚に修行を続けるよりも、
このような時期を過ごして、自分自身のあり方、世間の様子、
自分はこれでいいのか、僧侶としてのつとめなど、いろいろ考えることができて、これは貴重な時になると思います。
坂村真民先生に、「離れていることは」という詩があります。
離れていることは
いいことだ
会わないことも
いいことだ
それは却って
愛を深め
情けを濃くしてくれる
という詩であります。
いつも会っているよりも、時には会わない機会があった方が、お互いに意識は高まるものです。
面と向かって会って、それが当たり前、それで十分だと思ってしまうと、深いところで会っていないこともあります。
こうして離れていることにも意義があろうかと思っています。
横田南嶺