一人でもいい
そう言っていただけると、こちらも大いに張り合いがあって、頑張ろうという気持ちになるものです。
「毎日楽しみにしています」という、その一言で、こちらが救われる思いであります。
いろんな分野の情報を集めて毎日文章を作るのは大変でしょうと言ってくださる方もいるのですが、これが実は大変ではないのです。
おそらく普段、いつも何か皆さまのお役に立てるような事はないかと、常に思いながら過ごす習慣がついてしまっていますので、新聞を見ても、何の書物を見ても、木を見ても草を見ても、常に何か言葉が湧いて出てくるのです。
それに、これはノルマが課せられてやっていることではないし、自分で好きに書いているだけですので、全く苦痛ではないのです。
苦しみながら書いていたのでは、恐らくその苦しみが伝わってしまうのではないかと思います。
黒住宗忠の言葉ではありませんが、「有りがたい、楽しい、嬉しい」の思いで書いています。
ただこういう習慣が身についたのは、修行時代のおかげであると思っています。
というのは、臨済禅の修行では、公案の修行を行います。
公案というのは禅問答であって、今日においては指導者から一つの問いを与えられて、その問いを常に手放さぬように、二六時中工夫し続けるというものです。そうすると何かの縁に触れて気がつくことがあるというのです。
この修行を何十年も続けてきますと、それが日常になってしまいました。
今は何か皆さまのお役に立つような事はないと二六時中工夫していますので、何を見ても何を聞いても、ハッと気づくことがあって、それをただちに文章にするだけなのであります。
公案修行ですと自分の為だけなのですが、こういうことは誰かのお役に立つのですから、一層有りがたく嬉しいのであります。
公案の修行を長年やってきて、時にはこんなことが何になるのだろうかと思うこともあったのですが、やはりコツコツ続けることは何かになるものだと今になって思います。
ですから、一時の思いだけであきらめたりするのは残念なことであります。
坂村真民先生の詩がございます。
一人でもいい
一人でもいい
わたしの詩を読んで
生きる力を得て下さったら
涙をふいて
立ちあがって下さったら
きのうまでの闇を
光にして下さったら
一人でもいい
わたしの詩集をふところにして
貧しいもの
罪あるもの
捨てられたもの
そういう人たちのため
愛の手をさしのべて下さったら
とても真民先生の詩には、遠く遠く及びもしない駄文ですが、コツコツ続けてまいります。
横田南嶺