みきを供える
作州の山奥へと布教に出掛けられて、いろいろお祭りに準備をしていて、いよいよお祭りだというときに、
飲みさしの酒ばかりで、お供えにする新しい酒、御神酒(おみき)のないことに気がつきました。
いたって交通の不便なところで、
これから買いにゆくのではとうてい間に合いません。
宗忠師は、そのことをお聞きになって、
有りがたき 面白き 嬉しきと
みきをそのうぞ 信(まこと)なりける
と一首和歌をお示しになりました。
そこで、そのままご神前にお供えしてお祭りをお勤めになったという話であります。
黒住教では、よく知られた話であります。
幾たび読んでも、宗忠師の人柄が伝わってくるようで、私も好きな話であります。
行住坐臥、
つねに有りがたきという喜
面白きという喜、
そして嬉しきという喜の
三つの喜を大切にすることが
本当の御神酒(おみき)になるのだということです。
この面白きというところを、私は今では楽しいということだと自分なりに解釈しています。
いつも、有りがたい、楽しい、嬉しいという気持ちで暮らすこと、これが一番のお供えになるというのです。
御神酒を忘れたといって、
後悔することも、誰かを責めることも、もう一度やり直させることもいらないのです。
私たちの修行というのも、
この「有りがたい」「楽しい」「嬉しい」という三つの気持ちで取り組んでいないと身につかないと思っています。
どうしても修行というと、
嫌なことを耐える、
歯を食いしばって辛抱する、がまんする
という印象が強いように思われます。
そんな時も人生にはあろうかと思いますが、
それらを「有りがたい」「楽しい」「嬉しい」の三つの気持ちで
受けとめてゆくことこそが、本当の修行だと思うのです。
横田南嶺