おもい
昨日は、鈴木大拙先生の「さとり」という不思議な動物にまつわる話を紹介しました。
こんな話はいったいどこにあるのか、わからないのですが、
方広寺派管長であらせられる安永祖堂老師の『坦翁禅話』に詳しい解説がございます。
安永老師は、大拙先生の『禅と日本文化』にある「さとり」と樵夫の話を紹介しておいて、
このような話が日本にあちこちに伝わっていると書かれています。
そして、静岡県に伝わる「サトリのワッパ」という話、秋田県に伝わる「サトリの怪」という話などを紹介されています。
安永老師は天龍寺で修行を終えられて、長年花園大学の教授をお勤めくださった、実に行学兼備の老師でいらっしゃいます。
そして水木しげる先生の『水木しけるの妖怪事典』に載っている話を紹介してくださっています。
この話もおもしろいので、みてみましょう。
むかし富士山の麓の大和田山の森林中に、おもいという魔物が棲んでいたそうです。
この魔物は、人間の心に思う事はどんなことでも見通すという不思議な力を持っていました。(このあたりは、みな同じ想定です)
そこで、この魔物に出会った人間は、全く身動きできなくなって、結局つかまえられ喰われてしまうそうです。
ある時一人の樵夫が大和田山の森の中で木を切っていると、ふいにそのおもいが現れました。
樵夫は思わずゾッとして怖いなと思いました。
するとおもいはゲラゲラ笑い、「今お前は怖いなと思ったな」と言いました。
樵夫は真っ蒼になって、グズグズしていると取って喰われるぞ、と身を慄わせていると、
おもいは「今お前はグズグズしていると取って喰われるぞと思ったな」と言うのです。
樵夫はいよいよ堪らなくなって、こうなったら逃げるだけ逃げてやれと思うと、
おもいはまたもや、「今度は逃げるだけ逃げてやれと思ったな」と言います。
これはどうも仕様がない、どうなろうと諦めようと思うと、
おもいはまたしても、「今お前はどうなろうと諦めようと思ったな」と言う始末でした。
もうどうすることもできず、仕方がないから樵夫はそのまま木を割っていました。
おもいはだんだん近寄って来て、スキがあれば取って喰おうと狙っていました。
ところがそのとき、樵夫が割っていた木に大きな節があって、
男が打ち下ろした斧がその節に当たると、
不意にそれが砕け、木の破片が勢いよく飛んで、
おもいの眼にひどくぶつかってその眼をつぶしてしまった。
これには樵夫は勿論、おもいの魔物も全く思いも寄らず、さすがのおもいも参ってしまった。
そして、「思う事より思わぬ事の方が恐い」と言いながら、どんどん向こうの方へ逃げて行ったので、
男は思わぬ事で、命拾いをしたという話です。
(『水木しげるの妖怪事典』より)
さいごの「思う事より思わぬ事の方が恐い」というオチがついて、いい話だと思いました。
「常になにもおもはぬは、仏のけいこなり」という至道無難禅師の言葉があります。
また禅師には、
おもはねば おもはぬ物もなかりけり
おもへば おもふものとなりけり
という和歌もございます。
思わないということも無くなってしまうというのです。
何か思えば、思う物に執着してしまいます。
そうかといって、思うまいぞ、思うまいぞと頑張るのも、思いになってしまいます。
それよりも、ひたすら目の前のことに打ち込むことです。
一心不乱に。
そうすれば、至道無難禅師が
「なにもおはぬ物から なにかもするがよし」と仰せになっているように、自然と何も思わないところから、無心のはたらきが出てくるのであります。
それにしても、思わぬことが次々と起きる今日この頃、
それに対してこちらの思いを凝らしてみても、かなわないのではないかなと思います。
いや、「かなわないと思う」ようでは、またおもいに読みとられてしまいそうです。
横田南嶺