水
「水 求め五時間並ぶ雪の空 見知らぬ同士で傘さしかけつつ」
という和歌がございます。
東日本大震災の被災地の方の和歌であります。
震災のあと、よく法話で引用させてもらっていました。
厳しい過酷な状況の中でも、お互い見知らぬ者同士でも、傘をさしかけ合う心の素晴らしさを説いたものでした。
人は水を求めて、雪の中を五時間でも並ぶのです。水無しではお互い生きてゆけません。
それほど水は生命にとって大切なものです。
「幸せは ひねれば水の出る暮らし」
という川柳も、震災のあとのものです。
蛇口をひねれば水が出るということは、有り難い幸せなことです。
しかし、それが当たり前になってしまうと、有り難さなど感じなくなってしまいます。
私などもその通りです。
上代絲子さんという方の和歌を読んでいました。
上代さんは、戦争中に軍人の方と結婚しましたが、相手は再婚で先妻の子が五人いました。そのうち二人は結核で入院していました。
結婚といってもまるで病人の看病にいったようなもので、相次いで二人の子は亡くなり、終戦を迎え、夫も病死します。
残された三人の義理の子どもを抱えて、戦後の苦しい時代を生き抜かれます。
上代さんは日雇いの労働に従事し、道路工事をなさいました。過酷な労働です。
結核の子を看病していたので、上代さんも結核にかかります。
それでも子を育てるためにはたらきました。
そんな上代さんの和歌に
「一口の水を薬となして飲み天に謝すなり病みていねつつ」
というのがありました。
病になっても、お金がかかるからといって医者にもかかれないし、薬も買えない。
そこで、一口の水を薬と思って飲んで、それでも天に感謝するというのです。
そんな状況下でも感謝の心を失わなかった為なのか、やがて病は治癒に向かい、再び労働に従事することになりました。
一見悲惨な人生のようにしかみえない上代さんですが、次のような和歌を残されていて感動しました。
「み仏のおん慈悲ありと思う時安らけきかなむづかしき世も」
苦難の人生であっても、そこにみ仏のお慈悲を感じて生きるとき、心の安らかさを感じるというのです。頭の下がる思いです。
水は生命のみなもとです。一杯の水も感謝していただけば、天の恵みであり、薬にもなります。
コロナウィルスのことばかり考えていると気が滅入りますが、私たちはひねれば水の出る暮らしをさせてもらっています。
一杯の水をいただくときだけでも、ウィルスのことはさし置いて、しみじみ有り難く感謝していただくようにしたいものであります。
そうするときっと免疫力もあがりましょう。
横田南嶺