『大法輪』
今月の『大法輪』が届きました。
特集は、「人生を導く仏教の《誓いと自戒》の言葉」です。
まずは、いつも楽しみにしている小川隆先生の連載から拝読していました。
ざっと目を通してゆくと、最後のページになんと「休刊のお知らせ」が。
今年の七月号で休刊とするとのことです。
『大法輪』は1934年以来、仏教の大衆化を目指し、特定の宗派にとらわれず、仏教を信仰の対象として広めることを目的として創刊されたと書かれています。
私も、中学生の頃から、ずっと愛読してきました。
「すべてのものはうつろいゆく」というのが仏陀の悟られた真理でありますから、『大法輪』とてその例外ではないのですが、それにしても残念であり、寂しいものです。
今回の特集の中には、三島龍沢寺の後藤栄山老師が、山本玄峰老師について書いてくださっています。
また、金嶽宗信和尚も玄峰老師について書いてくださっています。
特集の誓いについては、なんといっても、四弘誓願がすぐに思い浮かびます。
仏教を学ぶ者ならば、誰しも抱くべき誓願です。
服部育郎先生が「大乗菩薩の四弘誓願」として書いてくださっています。
四弘誓願とは
第一に衆生無辺誓願度、(数限りない人々をさとりの彼岸に渡そうという誓願)
第二に煩悩無尽誓願断、(尽きることのない煩悩を滅しようという誓願)
第三に法門無量誓願学、(量り知ることのできないほどの教えを学ぼうという誓願)
第四に仏道無上誓願成、(この上ないさとりを成就したいという誓願)
とそれぞれ解説してくださっています。
なかでも、煩悩無尽誓願断の解説がわかりやすく感銘を受けました。
まず服部先生は、煩悩とは苦しみを生むもとであり、
「煩わし悩ます心の状態」
の総称だと言われます。
その代表として、「三毒」を挙げられています。
貪り、怒り、愚かさです。
更に先生は、
「この誓願は、自らの煩悩を制御して断じるとともに、
他の人たちの煩悩をなくす努力をするということでもあります」
と解説してくださっています。
他人の煩悩をなくす努力という視点は、私にはありませんでしたので、大きな学びでした。
そして煩悩を断じることの意味について、
「なぜ煩悩を断じるのか、それは苦しみのもとになっているから。
誰でも欲望はあります。欲望がなければ生きてさえいけないでしょう。
しかし、欲望が暴走すると煩悩になります。
食欲も暴走すると食べ過ぎで体を壊すことになるのがよい例でしょう。」
とわかりやすく解説してくれています。
さらに、煩悩を断じるとはどういうことなのか、そんなことはできるのだろうかという疑問を抱きがちになりますが、
先生は、
「ここで「断ずる」とは、欲望をなくすのではなくコントロールし制御し欲望が煩悩化しないようにすることではないでしょうか。
欲望の煩悩化が進み始めたときはそれをありのままに知ること。
どのような刺激でも煩悩は生まれます。まさしく「無尽」なわけです、しかし、それを知ることができれば消えていく。
煩悩はよく悪魔に例えられていますが、悪魔を退治する最強の武器は正体を見破ること。
気づいて対象化された煩悩はその瞬間は自分から離れています。」
と親切な解説であります。
煩悩をいたずらに敵視しては、却って苦しみを増すばかりです。
大乗仏教では、「煩悩即菩提」と説くのですが、あまり煩悩をそのままを肯定していしまっても、問題になります。
ここに説かれいるように、冷静にみつめて煩悩のもととなる自我に気がつき、煩悩を引き起こしている様子をありのままに見つめることが大切であると私もつねづね思っていました。
服部先生の明快な解説に感謝しています。
横田南嶺