衛生
新聞のコラム記事で、「衛生」という言葉のもとは、『荘子』にあると知りました。
「衛生」は『広辞苑』によると、
「健康の保全・増進をはかり、疾病の予防・治療につとめること。」
と解説されています。
用例としては「公衆衛生」が挙げられています。
『荘子』には、老子とその弟子の問答のなかで「衛生之経(みち)」として出ています。
この「衛生之経」とは、生命を守る不変の方法として使われていて、養生や摂生と類語であると、コラム記事には書かれていました。
気になって早速『荘子』の原典を調べてみました。
原文は難しいので、岩波文庫金谷治訳注の『荘子』にある現代語訳によってみてみます。
『荘子』の庚桑楚篇第二十三に出ています。
岩波文庫の訳では、「衛生之経」は「生命を安らかに守ってゆく方法」となっています。
それが具体的にはどのようなものかといえば、『荘子』の中で、
老子は
「衛生の経とはね、純粋な一つのものを内に守っていくことだよ。
それを失わないようにすることだよ。
亀卜や筮竹(ぜいちく)といった占いなどに頼らないで、自分で吉か凶かを判断していくことだよ。
自分なりの居り場所で静かに落ちついていることだよ。
自分なりの働きでやめておくことだよ。
他人に求めたりしないで、自分で内省していくことだよ。
こだわりなく自由にふるまうことだよ。
気づかいをやめてまっ直ぐ暮らしていくことだよ。
純真な赤子のようになることだよ。」
と説かれています。
今の時代に読んでも、なるほどと納得する言葉です。
こういうときだからこそ、自分自身のうちにある純粋なものを守ってゆくことを意識したいものです。
自分自身のうちにある純粋なるものを、禅では「仏心」と申しますが、純粋な心は本来誰しも持っているものであります。
占いも意味のないものではありませんが、あまり振り回されないようにすること、
風評などに惑わされないこと、そして自分なりの居場所に落ち着いていること、大事なことです。
『荘子』に説かれる「衛生之経」とは、実に奥深いものだと学ぶ事ができました。
衛生というと手洗いや消毒などにばかり気を取られますが、
生命を安らかに守っていくという本来の意味を学ぶことも必要であります。
横田南嶺