避難所
中外日報という宗教界の新聞に、私のことが掲載されていました。
先日、中外日報の記者が、私が最近試みている一口法話の動画配信に興味をもって、その取材に見えていたのでした。
私が、記者の方に、このたび管長三期目になりましたので、よろしくと申し上げたので、書いてくれたのでしょう。
その記事に、「時代の最先端に立ち、新たな挑戦をしていきたい」などと書かれています。
記者の方とは、一口法話を始めた経緯などについて、いろいろ語ったので、このような表現になったのかと思われます。
時代の最先端や、新たな挑戦などという、随分奇をてらったことでも考えているように受け取られるかもしれません。
私が、記者の方に伝えたかったのは、
私たち宗教者は、その時代の一番最先端で苦しんでいる方の声に耳を傾けて、その方の為に何ができるのか、従来の方法や格式などにとらわれずに新たな挑戦を恐れてはいけないということでした。
恐らくは、次回の記事で、一口法話という動画配信のことを書く伏線として、このような表現にされたのかと思いました。
同じ日の紙面に、曹洞宗の国際布教師シュプナル法純さんというポーランド出身の和尚様が、
仏教英語講座というコラム記事を書かれていました。
そこに興味深いことが書かれていてなるほどと思ったのでした。
「仏陀への道の第一歩は帰依することだ。帰依とは英語でtake refugeという。」
と書かれています。
そしてその
「Refuge とは、「避難所、安全な場所」という意味だから、危機、災害から避難する場所となる。
仏教の場合、「避難する場所」とは、慰め、頼り、心の支えを示す」
と解説されていました。
仏さまや仏さまの説かれた教えというのは、世の人たちにとって避難する場所なのだと改めて気がつきました。
かつて東日本大震災の後には、多くの方がお寺に集まって、祈りを捧げたり、法話を聞いてくださったりしていました。
お寺や、仏さまの教えは、改めて世の人たちの心の支えとなるのだ、いやならねばならないのだと思いました。
今はどうでしょうか、新型コロナウィルスの影響で、お寺に集まることができなくなっています。
では、どうしたらいいのか。
毎日の管長侍者日記を開いて読むことを楽しみにしています とか、今の自分の支えになっています というお礼のお手紙をいただくことがございます。
こんな拙い文章を綴っているだけですが、気が重くなるような日々のなかで、ホッとする場を与えているのかもしれません。
法話の動画でもそうです。
私如き者の映像をご覧になっても仕方ないとも思いますものの、ほんのひとときの避難所になってもらえればいいと思って、昨日も動画の撮影を致しました。
本日公開させていただきます。
横田南嶺