入学式中止
二日は花園大学の入学式の予定でした。
小さな大学ですので、入学式も規模を縮小して行う予定でした。
私も、久々の仏教学部定員超えという慶事もあって、総長として祝辞を述べるつもりでいました。
しかしながら、恐らく京都産業大学でのコロナウィルスの一件があって、
三十日私が和歌山県新宮市の清閑院で、葬儀の出頭を待っている時に、中止の知らせが入りました。
致し方のないことです。
卒業式の時には、あらかじめ欠席の予定でしたので、総長のメッセージを印刷して配ってもらったのでした。
今回はあまりにも急なことで、何もできません。
昨年の入学式の時には、
「華開いて世界起こる」
という言葉を引用して、
「普通私たちは、この世界の片隅に華が開くと考えます。
しかしこの言葉の示すところは、華が開くことによって、華開く世界が起こる、現れるということです。
今まで華の咲いていない世界から、今華が開いたことで、華の咲いた世界が新たに現れるというのであります。
私たちもこの広い世界の中の京都の中の花園大学の教室の片隅で学ぶというのではなく、
私が今学ぶことによって、新しい世界が開かれるのであります。
お互いの学ぼうという思いによってこそ、今までにない新しい世界が開かれるのであります。
そんな気持ちでそれぞれこの学校で学んでいただきたい」
というようなことを話しました。
今年はというと、本学がまもなく創立百五十周年を迎えることから話をしようと思っていました。
「百五十年の歴史を誇る大学は、それほど多くないと思います。
それでも百五十年より前には、この大学はなかったのです。
何人かの志のある者が、禅を学ぶための大学を作ろうという思いによって、創立されたのです。
東井義雄先生のことばに、
「川は岸に沿って流れているのではない 川の流れに沿って岸ができるのである。」
というのがあります。
大学という組織や建物があって、それに沿って学ぶというのではなく、
学ぼうという思いが先にあってその思いによって、この大学ができたのです。
お互い一人一人が、学ぼうという思いによって、この校舎が出来、大学ができているのです。
私が学ぶ為に大学ができているのだという思いを持って学んでほしいとおもいます。」
などという事を祝辞で述べようと思っていました。
私が残念だと思う以上に、新入生の方々は、これからどうなるのかと不安でありましょう。
大学の事務局の方々も、かつてない事態の対応に追われていることでしょう。
どうか明るい方向が見えてくるようにと祈り願わずにはいられません。
私が担当する公開講座「禅とこころ」の第一回講義の日は五月十二日です。
その日はなんとか上洛できればいいのですが……
横田南嶺