あ
坂村真民先生に「あ」という題の詩があります。
あ
一途に咲いた花たちが
大地に落ちたとき
“あ”というこえをたてる
あれをききとめるのだ
つゆくさのつゆが
朝日をうけたとき
“あ”とこえをあげる
あれをうけとめるのだ
という詩です。
この詩なども、詩人真民先生の感性の鋭さがよくあらわれています。
新聞の投書欄に、高校生の方が、駅でスマートフォンを見ながら電車を待っていて、向かい側のホームにいた男性が線路側に転落したことに気づかず、非常ベルが鳴ってようやく気がついた と書かれていました。
何かに熱中して周りに注意が向かなくなると、時として大事故につながることもあると反省されていた投書でした。
いろいろな便利な機械も出来て、情報も常にたくさん入ってくるようになっているのですが、周りのかすかな変化などには、気がつきにくくなっているのかもしれません。
隠寮に住んでいて、崖の上の桜の花が散っていました。
私も、この一輪の花が大地に落ちたときの声を聞き得ただろうかと反省します。
中唐の詩人、韋應物の詩に、
「山空しくして松子(しょうし)落ち,
幽人、応(まさ)に未だ眠らざるべし。」
という句があります。
山には人気がなく、松笠の落ちる音がよく響くが、
人里離れて静かに暮らしているあなたのところでも、松笠の落ちる音で、おそらくまだ寝られないでいることだろう という意味です。
かすかな音にも耳を澄ます、静謐な世界がよく詠われています。
喧噪の世には、もう聞こえない音かもしれません。
時には、しずかに風の音、鳥の声などに静かに耳を澄ませたいものです。
横田南嶺