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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.03.28
今日の言葉

正受老人三百年遠諱

今年は正受老人の三百年の御遠諱にあたるそうです。

正受老人は、寛永十九年一六四二年、信州飯山のお生まれです。真田信之の庶子であると言われています。

享保六年一七二一年の十月六日にお亡くなりになっています。世寿八十です。

三百年遠諱の記念として、飯山市で記念講演会を催すこととなり、私が講師を務めることになりました。

講演は九月二十日午前十時半からであります。

その打ち合わせに、龍雲寺の細川晋輔老師がお見えくださいました。

正受老人とは、私は日本の禅僧の中でも、もっとも純粋さの高い方であると尊敬しています。

白隠禅師のお師匠さまでいらっしゃいます。

至道無難禅師の法を継がれ、そのあとは信州飯山に正受庵を結んで、もっぱら正念工夫相続の御修行を貫かれた方であります。

正受老人の語録の中に、ご自身の生涯を振り返った次のような言葉がございます。

意訳しますと、

「私は、十三才でこの禅の教えのあることを信じ、十六才で初めて自己本来の面目を見届け、十九才で出家し、至道無難禅師に随って、十数年にわたり厳しい指導を受けた。

その後、この山に隠れ住んで、ただひたすら仏道の実践に明け暮れた。

今もう七十才に近くなろうしているが、その間、世間の縁を断ちきって、専一に修行の暮らしを守りぬいてきて、ようやくこの五六年、正念工夫を真に相続することができるようになってきた。」

という風であります

原文は漢文ですが、漢文の厳しい口調と共にその内容には今拝読しても、身の引き締まる思いがします。

十三才の頃飯山城に、ある和尚が見えて、城中の子供達に、それぞれ守り本尊を書いてくださったそうです。

正受老人も皆と同じようにお願いしましたが、あなたには観音様が具わっている と言って、書いてもらえませんでした。

では自からに具わる観音様とはどんなものですか と聞くと、それは自分自身に問うことだとのみ言われました。

それから、自分なりに修行して、十六才で初めて自己に本来具わっている観音様に目覚めたのです。

そして、江戸に出て至道無難禅師の弟子になって更に修行を積みました。

しかしながら、その後は終生飯山の小庵に過ごされて、自ら孤高の生涯を貫かれました。

宝永五年正受老人六十七歳の時に、まだ二十四歳の白隠禅師が参禅に見えています。

その時に厳しい指導振りは、よく知られています。

自らを厳しく律した正受老人なればこそ、白隠禅師という勝れた禅僧を育てられたのです。

日本の禅の命脈を伝えてくださった禅僧なのであります。

横田南嶺

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