『仏心の中を歩む』
本日三月二十日に、春秋社から『仏心の中を歩む』が発行されます。
先日、春秋社の社長さん編集長さんたちが、わざわざ見本を持ってきてくれました。
春秋社は、円覚寺にとって朝比奈宗源老師の『仏心』以来のご縁です。
先代の足立大進老師も、三冊出版されています。
春秋社は今の時代にあっても、実に丁寧なお仕事をなさってくださり、
本の見本ができても、普通は郵送されてくるところが多いのですが、社長御自らお運びくださるのであります。
さて、本は読むもの、書くものではないと言いながらも、今年出版の第一弾です。
こちらは新たに書いたのではなく、円覚寺の季刊誌『円覚』に書いたものをまとめたのです。
平成二十二年に円覚寺の管長に就任して、早いもので十年になります。
一年に四回『円覚』を発行していますので、四十話を書いたことになります。
いくつか掲載しなかったものもありますが、およそすべてを載せて一冊にしました。
書いた本人も改めて読んでみると、すでに忘れていたこともあって、いろいろのことが思い起こされます。
とりわけ、なんといっても、その十年の間には、東日本大震災があり、
私のふるさと紀州の水害があり、その当時の文章を読むと、感慨深いものがあります。
あとがきの中には、次のように書かせていただきました。
「朝比奈老師は、私たちの存在を、仏心という広大な海の浮かんだ泡のようなものだと譬えられています。
生まれたからといって仏心の大海は増えず、死んだからといって、仏心の大海は減らず、私どもは皆仏心の一滴なのだと喝破されました。
そして更に
「人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取る。
生まれる前も仏心、生きている間も仏心、死んでからも仏心、仏心とは一秒時も離れていない。」
と親切にお説きくださっています。
私も、禅の教えを学び、小学生の頃から数えると四十年以上坐禅を続けてきて、死んでどこにゆくのかという結論は、この朝比奈老師の言葉通りだったと言えます。
分かろうが分かるまいが、迷おうが悟ろうが、みな仏心の中の営みだとしみじみ思えるようになりました。
大いなる仏心の中で、坐禅をし、請われるままに話をし、文章を書いてきたのだと受けとめています。
管長としての勤めも、そんな仏心の中での、一歩一歩の歩みだったと思います。今しばらく、この歩みは続いてゆくでありましょう。
『仏心の中を歩む』という題をつけたゆえんであります。」
表紙の写真は、この頃私の日曜説教に通ってくださっている若きカメラマン、田口翔一君が撮ってくれました。
たまたま田口君と話をしていて、よかったら今度の本の表紙になるような写真を撮ってくれませんかと実に気軽にお願いしたのでした。
田口君も気軽にお引き受けくださり、そのまま舎利殿の写真を撮ってくれたのでした。
きれいな青空の見えるすばらしい写真です。
感謝の意を込めて、表紙カバーの裏に、ご尊名を記させていただきました。
横田南嶺