人として生きる
鈴木大拙先生の言葉に、
「春になって花の咲くのは桜の誠である。
魚の淵に躍るは魚の、鳶飛んで天に戻るは鳶の、誠である。」
とあります。
これは『詩経』にある
「鳶飛戻天 魚躍于淵」
鳶(とび)飛びて天に戻(いた)り
魚(うお)淵(ふち)に躍(おど)る
という言葉がもとになっています。
折からまど・みちお詩集を読んでいると、
うさぎ
うさぎに うまれて
うれしい うさぎ
はねても
はねても
はねても
はねても
うさぎで なくなりゃしない
うさぎに うまれて
うれしい うさぎ
とんでも
とんでも
とんでも
とんでも
くさはら なくなりゃしない
というのを見つけました。
うさぎがうさぎにうまれてうれしいのです。
とんでもはねてもころんでも、うさぎでなくなることはないのです。
うさぎのままに生きています。大拙先生に言わせますと、これがうさぎの誠でしょう。
なにもことさらに、うさぎになろうと努力することはないのです。造作することがないのです。
ただ無心に飛んではねての全体がうさぎです。
これは、馬祖道一禅師の説かれた「平常心」にも通じます。
とんだりはねたりの全体が、ありのままです。
いくらとんでもはねても、ころんでも平常心から外れることはないのです。
人間は、人間として朝お日様が上れば目を覚まし、ご飯をいただき、日中はたらいて夜に眠るのです。
これだけで、人間に生まれてうれしいのです。人として生きているのです。
誠という言葉を用いると、なにかことさら難しいことをしなければならぬように思われるかもしれませんが、
うさぎがうさぎとしてぴょんぴょんはねているのが誠なのです。
いろいろの事が起こる世の中ですが、人として生きるという基本をしっかり見つめたいと思います。
朝目がさめてうれしい、ご飯をいただけてうれしい、夜布団で休めてうれしい、人として生きる喜びです。
横田南嶺