無観客
このところ、「無観客」という言葉をよく耳にします。
世間のことには縁遠い暮らしをしているつもりが、この「無観客」を経験しました。「無観客」説教であります。
毎月に第二日曜日には、大勢の皆様が集まってくださり、私のつまらぬ話を聞いて下さいます。
三月八日は、やむを得ず休会にして、動画を配信しました。
その撮影は、実に「無観客」で法話を行ったのでした。
誰もいない方丈で一人話をしながら、恩師松原泰道先生からうかがった話を思い出していました。
戦後間もない頃、あるところで千人も収容できる当時としては珍しい大ホールができて、
そのこけら落としに当時の妙心寺派管長である山本玄峰老師の特別講演会が企画されました。
玄峰老師は、松原泰道先生を連れてゆかれ、ご自身はほんの数分挨拶をしたのみで、
「あとは松原の話を聞いてくれ」
と壇を降りられました。
そして泰道先生が講演をなされました。
講演が終わって玄峰老師は泰道先生を控え室に呼ばれました。
その日は折から台風が直撃して千人入るホールにたった五人しか聴衆がいなかったらしいのです。
玄峰老師は泰道先生に言われました。
「ワシは目がよく見えないから分からなかったが、今聞くと今日の聴衆はたったの五人だったらしいな。
ワシもすみで話を聞いていたが、あなたの話は千人の時も五人の時も少しも変わりはしない。えらいもんだ。できんことだな。」
と褒められました。
そのとき泰道先生は、
「はい、私はたとえ聴衆が一人でも話を致します。」
と答えたのです。
そうすると玄峰老師はすかさず
「では、その一人がいない時はどうする。」
と詰問されました。
泰道先生はさすがに
「私も誰もいなければ話は致しません。」
と答えました。
すると玄峰老師の雷が落ちました
「禅宗の坊さんなら誰がいなくても坐禅する、お念仏の者は誰がいなくてもお念仏をする。あなたも誰がいなくても話をしろ。」
と言われたのでした。
そしてその後
「しかしな、誰も聞いていないと思うなよ、壁も柱も聞いておるでな。」
と仰ったというのです。
泰道先生は、この一言で布教の眼を開かせてもらったと仰せになっていました。
大方丈の壁も柱も聞いてくれていると思いながら話をしました。
しかし、今や玄峰老師もご存じない、ネットで聞いてくれているのであります。
横田南嶺