予(わ)が足を啓(ひら)け、予が手を啓け
『論語』の中に次の一節があります。
「曾子、疾(やまい)あり。門弟子を召(よ)びて曰わく、
予(わ)が足を啓(ひら)け、予が手を啓け。
詩に云う、戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如しと。
而今(いま)よりして後、吾免るることを知るかな、小子。」
岩波文庫の金谷治先生の訳によると、
曾子が病にかかったとき、門人たちをよんでいった、
「わが足をみよ、わが手をみよ。 詩経には『おそれ戒めつつ、深き淵にのぞむごと、薄き氷をふむごと』とあるが、これからさきはわたしももうその心配がないねえ、君たち。」
『孝経』に、父母から授かった自分の体を大切にして傷つけないのが孝行の始めだとかかれているので、曽子は親孝行でたえず体に注意していたので、死にのぞんで手足の完全なることをしめして門人たちんの戒めとしたのです。
足立大進老師がお亡くなりになって、お体を拭っているときに、
改めて老師のお体は、おきれいで足の先まで、どこにも傷がないのを拝見して、この『論語』の言葉を思い出しました。
老師は、ご幼少の頃はお体が弱かったらしく、常にお体に気を遣われていました。
ほんのわずかな異変にも敏感でありましたし、手や足にほんの少しでも傷があると、慎重に手当てをされていました。
鍼灸の治療にも定期的に通われていました。
またご自身でも、夜お休みの前に、足の三里に灸をすえていらっしゃいました。
そのように用心を重ねて、八十八才まで長命されたのだと思います。
脳梗塞を患うことがなければ、もっと長生きされたと思います。
両親から授かった体を、大事に大事にして生涯を全うされた老師のお体を拝見して、改めて孝行の大切さを学びました。
横田南嶺