物来たらば即ち照らせ
二十七日は、今年初の、臨済録の講義。
東京は湯島の麟祥院様で、小川隆先生のご講義を拝聴しました。
遠く四国の宇和島から大乗寺の河野徹山老師も聴講にお見え下さいました。
『臨済録』は、私も講義していてなかなか難解な箇所が多く、難渋することがあります。
そんな語録を、いつも小川先生が明快に説いてくれます。
今回も「物来たらば即ち照らせ」の一語について、なるほどと納得することができました。
従前の解釈ですと、
「物がやってきたら、こちらの光を当てよ」 であるとか
「外から来る物があれば、ただちに見とどけよ」 というものがあります。
小川先生は、「照」には、こちらから何かを照らすという意味の他に、鏡にものをうつすという意味があると示されて、ものがきたら鏡にうつすようにありのままに映し出せという意味ではないかと読み込まれていました。
この解釈には深く納得しました。
こちらから、作為して何かを照らしだそうとか、見とどけようとするよりも、
実に造作無くして、ありのままに鏡に映し出されるようにするというのは、
私の如きものでも、些か坐禅をしてきて、この解釈の方がふさわしいと思われました。
何か外から現れたならば、なんであろうと、鏡に映るようにしておく、これこそ極意だと納得した次第です。
こんな一語の解釈を深めることができただけでも、今日一日学んでよかったと思えるのです。
それよりも、私自身が、小川先生の一生徒になって、河野老師や和尚様方と机を並べて、ノートをとりながら共に学べることが、何よりの喜びであり、楽しみなのであります。
横田南嶺