ふわりと坐せば……
岩波書店の『図書』の一月号をいただきました。
なかに長谷川櫂先生が、「悩める漱石」と題した一文を認めておられます。
「あ、長谷川先生が書いておられる」と思って、ページを開いてみると、冒頭に私の名前があって、驚きました。
一昨年、長谷川先生が読売新聞に毎朝連載している詩歌コラム「四季」が五千回に達して、その記念特集として対談させていただいたことを書かれていたのです。
「北鎌倉円覚寺の横田南嶺老師と対談することになった。
……老師といっても白い髭の老僧を想像してもらっては困る。
まだ五十代半ばで私よりも十も若い。」と私のことを紹介してくれています。
更に
「四月中旬、北鎌倉の桜はとうに散って山々は新緑に包まれはじめていた。
対談は広い池に面した方丈で行われた。
まず印象的だったのは方丈全体を楽器にして響かせるような老師の声である。
丹田に力を集めて地球の上にふわりと坐せば、あの声が出るのだろうか。
初蛙老師の声も朗々と 櫂」
と、先生の一句を添えて書かれていました。
「丹田に満身の気力を込めて坐るのだ」と教わって、何十年と毎日やってきましたが、ときには、こんなことをやって何になるのかなと思う事もあります。
たぶん何にもならぬと思ってきました。
しかしながら、長谷川先生のような俳句の第一人者の方にお褒めいただくとは、些かなりともやってきてよかったなと思いました。
それにしても長谷川先生が「丹田に力を集めて地球の上にふわりと坐せば」という表現には驚きます。
この「ふわりと坐す」ことこそが要諦なのだと思うのです。
長年やってきてようやく気がついたところを、的確な表現でとられておられることに、俳人の感性を見ました。
さすがだと思います。
そうはいっても、無心に鳴く蛙の声にはまだ及びません。
まだまだ丹田に力を集めて坐らねばと思います。
しかも「ふわりと」。
横田南嶺