謹賀新年
健やかにご越年の趣、お慶び申し上げます。
暮れの毎日新聞の『季語刻々』というコラムに、こんな小学生の俳句が紹介されていました。
ねこがいるこたつの中にぼくもいる
というのです。
筆者の坪内稔典先生も、「いいなあ、この光景!猫たちの仲間にしてもらった気分だろう」と書かれています。
句を作られたのは、作句当時愛媛県四国中央市の小学三年生だそうです。
ほのぼのとしていい句だと私もしみじみ思って書き取りました。
こういうのが、「平和」の景色だと思います。
逆に争いというのは、「これはオレのこたつなんだから、猫なんか入るな」、「猫のくせに、もっと隅っこにいろ」とかいう思いがわいてくることから起きるのでしょう。
こたつは誰のものでもないのです。
そこに猫が入っていれば、もうそのときは猫のこたつ、後から入るものは、遠慮して「ぼくも」入るだけのことです。
今年はねずみ年、ねずみにちなんで、三島龍沢寺を復興された山本玄峰老師の話を思い出しました。
玄峰老師は、紀州本宮のご出身であり、私にとりましては郷里の大先輩なのであります。
紀州で木こりや筏流しをしていたのですが、目の病で失明を宣告されて、四国遍路をするうちに出家し、白隠禅師ゆかりの龍沢寺を復興され、晩年には京都妙心寺の管長もおつとめになっていらっしゃいます。
まだ玄峰老師が龍沢寺に入山された頃は、寺も荒れ果てていて雨が降ると傘をさして読経されていたというほどでした。
そんな寺に入ると、ねずみがたくさんいます。
それこそ寺を我が物顔に住み着いていたのでしょう。
普通であれば、まずねずみを駆除しなければと考えます。
しかし、玄峰老師は、そのねずみたちに頭を下げて、
「お前たちは、先祖代々ここに住んでおるが、わしは後から来た新参者じゃからよろしく頼むぜ」と挨拶をされていたというのです。
そして、ご自身のお部屋には、ねずみ用の食器が用意されていて、毎日夕方になるとその食器にお米をいれてあげられたそうです。
老師の仰せには、
「ねずみでもこうして餌をやっておけば決して悪いことはしないし、珍しいお客が来たり、変わったことのあるときは、ねずみが先に知らせてくれるよ」というのであります。
実際に、まだ電話もない頃に、ある方が不意に龍沢寺を訪れても、玄峰老師はどういうわけかあらかじめその人が来ることを知っていて、侍者に支度をさせていたという話が、『回想 山本玄峰』に載っています。
とてもまねができることではありませんが、自分中心にならずに、謙虚に大自然と共に生きてゆく姿には学ぶべきところがあります。
「令和」という時代です。本当の「和」とは何か考えなければなりません。
とはいってもお正月、あまり深刻にならずに、こたつに入って猫と一緒に、まずうたた寝でも……
横田南嶺